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標準治療を拒否されて、野菜ジュースによってがんを克服したというお話。大変力強いのですが、これが全ての人に当てはまるかとそうでもないと思います。
ただし、がんに強い体づくりというのは、治療を受けながらも大事になってきます。米国、いや世界でも最大級おがん患者支援団体の米国がん協会(ACS)が3月に改訂したガイドラインに、栄養と身体活動の重要性が記載されています。
その点で、山本さんが実施された野菜ジュースは参考になると思います。
【抜粋】
山本は42歳だった9年前にステージ4の大腸がん末期と診断され、5年生存率18.8%を知らされた。かつリンパや肝臓にもがんが転移していたが、放射線治療を拒否した山本は、独自の方法で49歳になるまでの7年をかけてがんに打ち克ったことを独白。
「最初に宣告されたのが7年前だったんです。その時はお腹の調子がおかしかった。汚い話ですけど、その時は便も黒かったから、病院に行って精密検査をしたら、『ちゃんと調べたほうがいい』って言われて、調べたらがん細胞があって、リンパと肝臓にも転移していたんです」
――それから放射線治療を試してみたけど、山本さんには合わなかったんですよね。
「そうですね。僕には合ってなかった。めまい、嫌悪感、吐き気、おう吐、じんましんも出て。これじゃあ抗がん剤で死んじゃうなあと思って、強引に退院したんですよ。その足で本屋に行って、がんのコーナーにある資料を全部読みあさって。そうしたら一冊の本に出会ったんです。そこには『私は余命3か月と言われたけど、そこからがんを克服しました』って書かれてあって。それを熟読しましたね。いろいろ調べていくと、野菜の酵素ががん細胞を破壊するらしくて。だから低速ジューサーで野菜を取れと。それで電気屋で低速ジューサーを買って、野菜を2キロほど買ってきて、毎日ジュースを飲んでいましたね」
――40代なんて働き盛りなのに。でも、なぜ低速ジューサーを使った方法にかけてみようと思ったんですか?
「それはもう……直感ですよね。実体験が書かれた本だったから、それを信じてやってみようと思ったし。5年生存率が18.8%ですから、かなり低いじゃないですか。だから、自分でなんとかしなきゃいけないなって思って、必死こきましたね」
――いざ低速ジューサー生活がはじまるわけですけど、野菜ジュース以外はまったくとらないんですか?
「1食だけは普通に食べていましたね」
――あとの2食は野菜ジュース。
「いや、2キロを3回に分けて摂っていましたね」
――どんな野菜を?
「大根、人参、ごぼう、春菊、ブロッコリー、モロヘイヤ、ニラ、りんご、レモン……それを低速ジューサーで」
――低速と言いますが、どのくらいの時間をかけてジュースになっていくんですか?
「10分くらいじゃないですかね」
――それを5年間続けたそうですけど、どのタイミングで効果を実感したのでしょうか?
「いや、まったくわからなかったですね。多少はけん怠感が治まってきたなっていうのがあったし、便のドス黒い血が出なくなったっていうのはありましたけどね」
――そんな生活を5年続けた後に病院に行ったと話されていましたけど、その理由は?
「5年たった時に、まだ生きていたからそこで初めて検査を受けてみようかなって。そしたらがん細胞が消えていて、転移も見当たらないと聞かされて、ガッツポーズを取った感じですね」