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配信:AERA
花子さんの率直な言葉が並んでいます。
車椅子では舞台に上がらない、芸人は同情されてたらあかん、等、読み手の心に刺さるような”弱気”的な発言に聞こえなくもないのですが、この記事を読み終えてから、私は「さすがですねえ」と思いました。
花子さんは、やっぱり芸人さんです。
【抜粋】
2019年6月に救急搬送され、血液のがんの一種、症候性多発性骨髄腫で闘病中の漫才師・宮川花子さん(67)。搬送後に“余命半年”との宣告を受けましたが、相方で夫の宮川大輔さん(72)の献身的なサポートで昨年12月には久々に舞台に上がり、切れ味鋭いトークを披露しました。今月、病気になってからの思いをつづった「あわてず、あせらず、あきらめず」も出版しましたが、20年以上取材を続けてきた筆者に今の思いを吐露しました。
2019年6月、緊急搬送された時はいくつも命の危機が重なっていて、どれか一つが進んでもアウトだったと後から聞きました。
ただ、周りの方々のサポートで、なんとか命は助かりました。今もリハビリや抗がん剤治療も受けていて、状態としては落ち着いた感じにはなっています。
ただ、1年半ほどの闘病生活で分かったことがあります。それは、私の病気は治ることはないんだということ。なんとか少しでも良い状態を目指しますけど、今まで通りになることはない。それは自分の中で少しずつ認めていったものでした。
脚はずっとしびれてますし、がんの放射線治療で腰の骨も削れた状態になっているみたいで、それがスッと治ることはない。
闘病を始めた最初は、また元通りの体にして、なんばグランド花月の舞台を走り回って漫才をする。その思いがありましたし、そうするつもりでした。
でも、それは本当に遠い夢になりました。前のように漫才をする。これはもうできないと思っています。
根本の話をすると、最初は自分が病人やと思っていたんです。だから、病気が治ればまた戻れる。でも、国からいろいろな方が来られて審査をされて、今は障害者になりました。手帳ももらいました。
病気ではなく、この体で生きていく。いろいろな思いが頭をめぐりましたけど、今はその状況を受け入れて、その中で何ができるのか。それを考えているんです。
去年は東京オリンピック・パラリンピックがありました。私、もともとスポーツはものすごく好きなんですけど、こんなにのめり込んで見たのは初めてでした。
ずっとウチら夫婦でマラソンチームを持ってたんです。芸人で足の速い子にも入ってもらったりして、マラソン大会に出たりもしてました。その縁で、パラのマラソン選手や乗馬の選手ともご縁ができて、仲良くしてたんです。
去年のパラリンピックにはそういった縁のある選手も出場してました。ありきたりな言葉になりますけど、力をもらいました。こんなに励みになるんやと。
変な意味ではなく、以前はパラの選手としゃべってる時は「頑張ってや!」とよく言ってたんです。純粋にそう思って言っていたんですけど「頑張ってや!」の中には、正直「大変やな……」という思いもあったと思うんです。
でも、今自分がその状態になると、そらね、いろいろ思いますよ。ただ、こんなに尊敬とあこがれをもって見た大会はありませんでした。
今の私はパラアスリートならぬ、パラ芸人やと思っています。例えば、車いすを使っている皆さんが出てらっしゃる番組とか、そういう番組も出られるんやったら出してもらいたいし、今はそんな思いで暮らしています。
あとね、ずっと夫婦一緒にいる生活の中で、ものすごく会話をするようになりました。私は家の2階で寝てるんですけど、大助君が迎えに来て階段で手をひいてくれなかったら一階に降りられない。一日が大助君の助けで始まるんです。
それと、もう事実として私も大助君も高齢者になってますから。芸人仲間からも「花ちゃんは、中高年のアイドルやで」と言ってもらったりもしています。
家にいる中で、今の若い人たちの番組もたくさん見るようになりました。本当に面白い。ネタにしても、ホンマに良くできてるなと思います。でも、周りの同年代の人としゃべると、今の若い人の笑いが「どこが面白いのか分からん」という声も聞くんです。
自分が面白いと思えるのは多少なりとも漫才をかじってきたからだし、その漫才をやってきた蓄積を使って「若い人の笑いが分からん」という方にも面白いと思ってもらえるものを発信する。それは今の自分がやるべきことやろうなとも思っています。
でもね、車いすでいる以上、漫才はできないと思っています。車いすでは舞台に上がりません。笑いというのは本当に繊細なもので、いつもと違うもの、不慣れなものがあると、そこに目がいって笑えなくなる。私が車いすで出てきた時点でお客さんの目はそこにいくし、気になってネタに集中できない。それでは漫才は成立しません。
芸人が同情されても仕方ないし、そうなったらもう笑いを取れない。もし漫才をやるんやったらお客さんが気にならんくらい体が戻っていないとダメやと思います。
でもね、神様はよくこの口だけは残してくれはったと思います。ホンマに。この口があったら、しゃべることはできる。しゃべれたら、何かを伝えることはできる。この力があるんやったら、そこを使わなアカン。そう思ってもいるんです。
今も体は痛いんですけど、それは病気の痛みではなく、筋肉痛の痛みなんです。一生懸命にリハビリをしていると、常にどこかが筋肉痛になっている。これは前向きな痛みやと思っています。なんとか今の私にできることを見つけて、芸人として発信したい。そう思います。
それとね、つくづく、大助君はまじめな人やと思いますわ。45年ほど前に「この人はホンマにまじめな人やなぁ」と思って結婚したんですけど、今はもっと思っています。
普通「こんなことまでやってもらったら悪いな」とか「これはしんどいやろうな」と思うこともあったりしますけど、それ以上にやってくれてます。
私ができることは朝にベッド横の窓を開けるくらいのことなんですけど、そこから見える庭、ものすごくキレイにしてくれています。季節のお花を植えて、本格的な庭園みたいになってます。毎日ホームセンターに行って、いろいろなものを買ってきて、窓からの景色をどんどんキレイにしていってくれています。
そして、まじめなのと同じくらい心配性でもあるんです。だから、彼がいるところでは私はしんどいとは言わない。しんどいと言ったらかわいそうじゃないですか。でも、それも私の心の張りになっていると思うんです。
こんなん言うたらアレですけど、家での大助君はそこそこ面白いんですよ(笑)。漫才やったら15分のうちしゃべってんのは2分ほどやったと思いますけど。それも「こんにちは」と言うために「こ、こ、こ、こ、こ、こんにちは」と何倍も時間かかってましたし(笑)。
またそうやって夫婦でしゃべっていることで皆さんに楽しんでもらえる。それができるように、これからも頑張っていきたいと思っています。