2022年
1月1日 家族で過ごす
1月2日 家内の実家(エスティマ)
1月3日 伊勢神宮(エスティマ)
1月4日 初ライドの予定でしたが、小雨&強風で中止
1月5日 仕事始め
ここまでは、前回のアメブロに書いた通りです。
この後、予想外の展開が待っていました。
1月5日午後6時 仕事終了
午後7時 夕食 正月太りもあるので今夜は酒を控える。
午後8時頃 家内のスマホに連絡が入る。
義父が本日5日から出かけた旅行先の長崎県平戸市のホテルで亡くなった。一緒に行かれた旅行仲間の方からの電話だった。
2日に義父の家で会ったばかり。当然元気だった。夢じゃないのかウソじゃないのかと思ったが、現実のようだ。
独り暮らしで元気に暮らしていた義父が遠方で突然急死。
とりあえず急いで現地へ行かないと。
ただ、長崎県平戸市がどこにあるのかも知らないので、
Googleマップで現地を確認するとともに行き方を検討。
間もなく現地警察から電話が入り、運ばれた病院が分かる。
いろいろ考えても、現地で葬式やって遺骨を愛知県へ持ち帰るのが現実的な方法だろうと独断で結論を出す。
病院へ電話して、いつまでに義父を迎えにいけばいいのか聞くと共に現地の葬儀会社を紹介してもらう。
紹介してもらった葬儀会社へ電話して、義父を病院へ迎えにいってもらい葬儀会館へ運んでもらうように依頼する。いつも法事で世話になっている愛知県の住職に長崎県まで行ってもらうのは無理だろうから、現地で同じ宗派のお寺を葬儀会社で探してもらい葬儀の日時も調整してもらう。
病院とホテルと葬儀会館を翌日1月6日の昼頃に訪ねると告げる。現地警察官とも会う必要があるようだ。
問題はどうやって現地まで行くかだ。
飛行機は飛んでる時間は短いが、チェックインチェックアウトに時間がかかる。便数が少ない。発着とも空港が遠い。とくに長崎空港から現地まで100km近く離れている。持って行くことが出来る荷物も限られる。
飛行機は止めよう。
早朝の新幹線で博多まで行き、その後電車乗り継いで現地まで行くのもかなり面倒くさい。乗り継ぎ多いし時間もかかる。現地夕方着だろう。
早朝の新幹線で博多まで行き、レンタカーで現地まで向かう方が簡単で時間も早い。駅の近くで上手くレンタカー借りれたら昼過ぎには到着出来そうだ。
でも、昼過ぎなら12時間以上先のことなので、それならいまから自走で長崎県向かって走り続ければ同じぐらいの時刻には到着出来る。自走で行けば荷物の制限も無い。やたら長い新幹線ホームを荷物ころがして真冬の寒さのなか歩く必要もない。現地で乗り慣れたマイカーで自由に移動出来る。メリット多い。唯一で最大の問題は自分の体力がもつかだ。
一日で走った過去最長距離は1000km(若い頃だけど)東京日帰りとか鳥取砂丘日帰りドライブもやったことある。ただ、長距離日帰りは現地で適当に数時間休憩してから往復してる。一気に走った距離でいえば、日光東照宮(2018年)までの500kmとか先々月バイクで紀伊半島一周した590kmなどなど500km前後が多い。長崎の現地まで一気に870km走行はかなり遠い。でも、バイクで590km走れたんだからエスティマなら870km走れる気がする。仕事あがりで少し疲れているが、アドレナリン出まくっている今ならなんとかなるだろう。
エスティマ自走で行くことにする。
その後、留守番してもらうように40km離れた私の次女を呼び寄せる。一緒に長崎へ行く家内の妹さんを私の長女の旦那(娘婿とも言う)に50km運転して連れてきてもらう。
その間に遺影データとかルート図とか連絡先一覧とか喪服などいろいろ準備。
1月6日午前1時に自宅出発。死亡連絡の電話から5時間後だ。
三重県北部の最寄りのインターから新名神高速に入る。
深夜なので渋滞の心配もなく順調に進行。
草津JCTから名神高速入っても眠気もない。
その後、高槻JCTから新名神高速へ。
深夜の宝塚北SA
人影少ない建物内で「リボンの騎士」見て何故かちょっと心安まる。
でも、こんなところでのんびりしてる場合じゃないので、
リボンの騎士に別れを告げて、
日の出までに広島市通過を目指して、宝塚北SAを出発する。
山陽自動車道はトラックばかり。
でも、トラックも100km/hは出てるので特に問題ない。
逆にそれ以上速いと疲れるので、100km/hぐらいが丁度良い。
自宅からの走行距離300km(岡山)辺りまでが意外に遠い。
深夜の高速は飽きる。もともと高速道路走るのは退屈なんだが、深夜は特に景色も何にもないので飽きる。でも、頑張るしかない。
予定通りに日の出前に広島市(中間地点)を通過。
午前8時 下松SA(山口県)
出発から7時間経過し、ここまでに520km走ってきた。
日が昇ったら、眠気も覚めて元気が出てきた。
下松から目的地まであと350km。
行程の半分過ぎたら目的地まで近い気がしてきた。
その後、意外に長い山口県を抜けて
関門海峡を渡り、九州上陸。
私はいままで九州へは一度も行ったことがなかった。
今回が初九州なのだ。(沖縄はあります)
本州と九州が吊り橋でつながっていたことも、今回初めて知った。
現地へいくまで海底トンネルで繋がっていると思ってた。
長崎の平戸市で突然亡くなってしまった義父は、熊本の出身。大人になり就職のために60年前に愛知県へひとりでやってきた。
私が仕事を辞めたら、九州をぐるりとドライブして熊本の義父の実家へも行きたいと思ってたが、まさかその前に義父を迎えに九州をドライブすることになるとは想定外過ぎる。
その後、まったく土地勘のない九州を、カーナビ頼りに適当に走って、予定通りに1月6日午後1時 現地到着
走行距離870km 出発から12時間
870km/h÷12時間=72km/h(平均速度)
一般道を少し含むのと休憩時間も含んでの12時間なので、結構頑張って走ったと思う。バイクじゃ無理。仕事のあとの徹夜走行なんてできない。
まず最初に義父が眠る葬儀会館へ。
穏やかに寝ているような義父。やはり現実なんだと実感する。辛い。
予定がいろいろあるのですぐに出発。義父が亡くなったホテル(綺麗な観光ホテルだった)へ行き、お世話になった御礼を述べ義父の荷物を受け取り出発。次に義父が運ばれた病院で最期診てくださった医師に詳しい診断内容をお聞きし、死亡診断書を受け取り、かかった費用を払い(義父の手荷物から高齢者の健康保険証が見つかり助かった)、病院まで来てくれた現地警察官と会い、警察関係の書類に家内がサインして病院(警察)も終了。
再び義父が待つ葬儀会館。永遠に眠る義父を見るのは寂しく辛いが、やることやらないといけないので、義父の前で葬儀の打ち合わせ開始。自分の仕事の取引先へ電話して納期調整などもして、なんだかんだ忙しくて結局義父の隣で寝たのは夜10時過ぎ。
朝から仕事したあとの徹夜走行870kmからの葬儀準備、よく最後まで体力持った。葬儀の間は義父と一緒に葬儀会館に二泊。
義父の出身地である熊本近辺の親戚(家内の従姉妹ら)が通夜から来てくれた。同じ九州内とは言えそれぞれ数時間かけて遠路集まってくれた親戚の皆さんには感謝するばかりだ。いろいろ気配りしてくれて本当にありがたかった。義父の人柄のお陰だろう。
葬儀も無事終わり、最後のお別れをしたあと、火葬炉スイッチONは家内には辛すぎるので私が点火した。
もう亡くなっているのだから会えなくなることも分かっているのだが、姿形がなくなるのは何とも言えない寂しさがある。
1月8日午後3時
親身になって対応してくれた葬儀社の皆さんに見送られながら(骨壺に収まったばかりの義父を連れて)葬儀会館を出発。
帰り道の長崎の道の駅に居たちょっと不気味なカエル?
バイバイ九州
帰路は中間地点で一泊することにして、広島市内のビジネスホテルをネット予約した。
帰路は福岡の都市高速を通過してみたが結構迷路だった。進路を間違えないように神経使う。交通量も多く流れも速くないので通過に時間がかかる。私みたいな慣れないドライバーは行きと同じルートで遠回りして都市高速通らない方が正解と思う。
九州から再び本州へ渡り、適当にSAで休憩とりながら走る。
広島のヒジホに到着したのが1月8日午後10時。
長崎出発から7時間。行きよりも1時間余計にかかった。
ビジホのテレビを見たら、コロナウイルス大盛況で、広島もなんやら規制が始まるらしい。まあ、元々まっすぐ帰るつもりで付近を食べ歩くつもりもないので、問題ない。
翌朝1月9日午前8時に広島のビジホを出発。
その後も休憩長めでのんびり走って、昼頃に再び新名神の宝塚北SA到着し、リボンの騎士に再会。
アトムも元気に迎えてくれた。
さらにその後も適当に休憩しつつ、高速道路を淡々と走り
自宅へ到着したのが1月9日午後4時。
広島のビジホ出発から8時間後だった。
長崎往復の総走行距離 1762km
平均燃費 13.8km/L
行きが結構飛ばし気味だった割にはトータル燃費良かった。
成人の日を含む三連休中だったが、コロナ禍再燃で高速道路もサービスエリアも混雑することがなかった。
運転はすべて私だが、隣に家内がいるので、スマホのナビも使って、まったく知らない地域の最新の道路情報が得られたので助かった。
1月15日、こちらの近親者に集まってもらい、いつもお世話になってる愛知県地元のお寺で義父の二回目の葬儀を執り行った。