重松清 - 小さき者へ
- 重松 清
- 小さき者へ
重松清の描く「家族」、「父親」にはどうしてこうも感情移入してしまうのだろうか。
様々な問題を抱える「家族」「父親」にスポットを当てた短編集全6編。
・実家につれて帰った幼い息子たちへの母の扱いが違い戸惑う「海まで」
・母子家庭の二人の小学生の心情を描いた「フイッチのイッチ」
・いじめから引きこもり母や友達に暴力を振るう息子へ自分の少年時代の同じ気持ちを手紙で記す「小さき者へ」
・元応援部の父親と高校中退を考えている娘のやり取りを描いた「団旗はためくもとに」
・脱サラして始めたピザ屋がつぶれた父親の話「青あざのトナカイ」
・少年野球の子供たちを甲子園へ連れて行く監督「三月行進曲」
やはり重松清はこの手の話で輝く。
どの話も、誰が悪いとでもない悩みを抱え、やるせないもどかしい気持ちが募る。
それでいて父親は誰も一昔前の絶対的一家の主ではなく、あくまで「弱い」部分を持つ父親で
その人には普段見せない「弱い」部分が描かれてるため、「デキた大人」としてみている父親像ではなく
自分の成長の延長としてとらえられる父親像なので感情移入しやすい。
そして、どうもこうもしがたい状況に胸が締め付けられる。
これだ。この胸キュンだ。
この切ない気持ちが読書の、人生疑似体験の醍醐味であり、重松清の作品の最大の魅力なのだ。
特に表題作「小さき者へ」では、
ひたすら書かれる父親から息子への手紙の中で、
「おまえがビートルズのCDを買ったって聞いて嬉しくなったよ。父さんも昔は好きだったんだ」
と言い、自身のビートルズに関する思い出話を綴るシーン、
そして
「お父さんは、優しくない息子だった。
優しくない息子が20数年後、父親になって、自分の息子には優しくあって欲しいと願う。
それはやっぱり、虫のよすぎる話なんだろうな。」
というセリフ。
グッときて、おもわず泣きそうになった。
それほど心動かされる作品だった。
これを読み終わった後はすごい感傷的になって、
自分は父親とどう接していたかとか、迷惑かけてただろうな、とかやたらと思った。
そしてとりあえず今日は帰ったら父親と話そう。
世間話でも何でも、話をしよう、と思った。