人に施したから自分が満たされる!? | 都合のいい人を止めてシンの自分を発揮する人生にジャンプアップ♪~メンタルコーチ かずぼー

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今回も開封、

あざます^ ^

 

 

僕は

 いつの頃からか、

 

ボランティアが

生活の一部になってて、

 

 

氣付いたら

 

ゴミ拾いしながら

下校する小学生

 

になってました。

 

 

 

大人から見たら、

気味の悪い子ども

だったんだろうなぁ...。

 

 

 

最近まで

 

「無償で奉仕するのが自分らしさ」

 

っていう信念がこびりついてて、

 

 

お金を頂くのに

凄い抵抗がありました。

 

 

 

ボランティアを

歪曲して解釈し、

 

 

無報酬、

自己犠牲が

当たり前になって、

 

 

感覚が

麻痺してたんですね(^_^;

 

 

 

かつて関わってた

ボランティアに来てた

 

人の中には

 

 

遠方にも関わらず

わざわざ

 

手弁当でボランティアに

来てる人も居て、

 

なんでかなーと考えてたんです。

 

 

 

もちろん

純然たる気持ちで来る人も

稀にいたけど、

 

 

 

何かしらの目的を

もって来てることに

氣付いたんです。

 

 

 

人との出会い(ビジネス・恋愛)、

 

自己肯定感を満たすために、

 

ボランティアをしている

その場だけでは

リーダー的役割になる、

 

 

他の人より

経験値があるから

頼られる、

 

現実の自分を離れて

特別な存在になれる。

 

 

 

人のためと言うよりは

自分焦点で参加する人が

一定数しました。

 

 

 

人はみんな

満たされない何かを持っていて、

 

それに氣付いたり、

穴埋めをするのは

 

自分自身と向き合うから

できるわけで、

 

ボランティアや奉仕活動で

人に施したから

満たされるものじゃない。

 

 

 

自分が満たされて

人に施すことで、

 

はじめて

奉仕という行為は

本質をなす。

 

 

 

信者を庇護する、

加護を与えるのに

 

 

ボランティア奉仕、

お布施、

 

という交換条件をつけて

 

信者を庇護する、

加護を与えるなんて

 

ピント外れも

いいところですね。

 

 

 

かずぼー。