旧約聖書を読み始めた木村さんの感想。私も世界の真実を探求する始まりに聖書があったな。 | 心と体を健康にするダイエット法

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いつもありがとうございます。
ハッピーダイエットライフの船田です。
 
旧約聖書と新約聖書。
時々紹介する木村正治さんが読み始めたというのでシェア。
 
実は私も22歳の時に友人から聖書を借りて読み始めたのが、世界の真実を知りたいと思ったことの始まりでした。
 
それから、読書につぐ読書をして、当時は独身で実家暮らしということもあり、毎日仕事の後に1~2冊は読みましたし、休日は3~4冊は読むことも多かったです。
 
1つだった本箱が、2つになり、3つになり、4つになり、5つになり、実家の六畳の部屋に入りきらなくなったころ、ざっと数えたら3千冊あった。つまり10年で3千冊読んだらしい。
 
結婚を機に、大事な本以外は古本屋にもっていきましたが、車のトランクに入りきらず、数回に分けて売りましたが、古本の売却で確か16万円位になったと思う(笑)
 
そして実家の大部分の本を売ったら、自室のドアがちゃんと閉まるようになった。じつは、自室のドアが閉まらなくなっていたのですが、本の重みで部屋がゆがんでいたようです(笑)
 
結婚後は、なかなか本が読めなくなったけど、結婚27年で2千冊は読んだと思う。
 
今の日本は本を読む人が激減しています。逆にいうと、本を淡々と読める人は、それだけで人生の成功者だと思います。
 
聖書が面白いです。
辞書並に分厚いので読み急ぐ必要を感じ、
可能な限りカバンに入れて持ち歩くように
しました。

ようやく旧約聖書のうち創世記を読み終え、
出エジプト記に入りました。

ここまでの読後感を述べます。
聖書という日本語訳は間違いだとは思いますが、
とりあえず聖書と表記することにして、
聖書は文学みたいですね。
また時に叙事詩であり時に歴史物語だとも感じます。

やはり日本人としての感覚からは理解しにくい
のが創造主への生贄を出さなければならないという
感覚ですね。
それが創造主との契約だという。
創造主は全知全能であり、愛をもって全てを
作り出したものと私は認識していますが、その
感覚の違いには違和感を感じます。

またアブラハム、イサク、ヤコブ、ヨセフへの
主、つまり神とエジプト人の神とは違い、互いに
相容れないものだと記されていますね。
天地創造から記されてはいるものの、いつの間にか
エジプトのファラオが別系統で登場します。
エジプト人の神は動物を礼拝する牛神、牛頭神、
羊頭神であり時代がくだりエジプト人がイスラエル人
を奴隷として酷使していきます。

これは文学、歴史物語、叙事詩として全てに
目を通したいですね。

さて、私がこの分厚い聖書を読み始めて、これを
いつ買ったかなと振り返りますと3月23日土曜日
でした。
車で奈良にドライブに行き、奈良公園で鹿を眺めて
啓林堂書店でこの分厚い聖書を購入しました。
翌日の3月24日日曜日の投稿で聖書を全て通読
する決意を述べたところでした。

はて、私の車が盗まれましたので、私が最後に
私の車に乗ったのが3月23日土曜日でした。
それは奈良の啓林堂書店でこの分厚い聖書を購入
した日でした。
翌日から聖書を全て通読するべく読み始めて、
やがて車が盗まれました。
この流れで見ると、聖書を購入した日が私が私の
車を運転した最後の日になります。

物事はそのように見ればそのように見える、
そのように捉えればそのように感じる事が
ありますが、これは偶然でしょうか?

まさか、神の見えざる手が働いたのでしょうか?

つまり私の車は聖書を購入した日が最後と
なりましたから、改めて振り返りますと何かを
感じないではいられません。
いまだに目撃情報が皆無だというのも不可解です。

私の車は盗まれたのか、忽然と消えたのか。
或いは神の見えざる手が・・・。

色々と可能性を感じますが、先ずは日本人として
聖書を全て把握する事を急ぎたいと思います。
日本人として聖書を全て把握すると、何かしらの
新たな風景が日本人として見えてくるように
思われます。
 
 
 
 
 
聖書の全てを通読する歩み

辞書並に分厚い聖書をカバンに入れて
持ち運び、カフェでも読むようにしました。
現在、旧約聖書の出エジプト記の半ばまで
読み終えました。

現時点での読後感を述べてみたいと思います。

日本人の神と旧約聖書などの神とは違います。
日本の神と西洋のゴッドとは違います。
日本人の神々と西洋人の神とは違います。
八百万の神々と西洋の唯一絶対神との世界観は
全く違います。

そのような価値観を踏まえて私は日本人として
聖書と言われる3000年前に記されたこの
世界的ベストセラーを読みたいと思います。

ここまで読み終えて感じるのは聖書は文学ですね。
また大スペクタクルだとも言えます。
一大叙事詩とも言えますね。

先ず、旧約聖書ではエジプトのファラオやエジプト人
がことごとく悪として記されている事に先ずは
驚きました。
アブラハム、イサク、ヤコブ、ヨセフと続く血脈
のイスラエル(ヘブライ人)にとっての主つまり
創造主はエジプトのファラオを従わせようと
しますがエジプトのファラオが頑なに拒むために
エジプト全土においてエジプトのファラオ、神々、
エジプト人を撃ちます。

創造主はヨセフの次代のモーセに様々に預言して
エジプトにて暮らすイスラエル人にモーセを
通じて預けた言葉通りに従わせます。
この時の創造主によるエジプト全土の攻撃を
創造主に従うモーセ以下、イスラエル人にだけは
災難が及ばないようにと掟を与え、それが過越の
掟として子羊を犠牲に生贄として屠り、その血を
玄関にかけた柱と屋根に塗れば創造主の攻撃から
避けられるとされました。
日本人としての私としてはなかなか理解しにくい
感覚ですが、なぜ、創造主に従うために子羊を
屠りその血を玄関にかけた柱や屋根に塗らなければ
助からないとされたのか。
また酵母入りのパンを食べない事が創造主への
忠誠とされますが、なかなか理解しにくいのが
正直なところです。

ヨセフの時代にはエジプトのファラオが創造主
の指示通りにヨセフをエジプトの宰相にしたために
エジプトにてエジプト人もイスラエル人も栄え
ましたが、時代がくだり、創造主との契約を忘れた
次代のファラオがイスラエル人を奴隷として酷使
し創造主がモーセを通じてヨセフの時代までの契約
を思い出させようとする度に次代のファラオが頑なに
拒む事からエジプト全土の攻撃に至ります。

やがて創造主の指示としてモーセによりエジプト
からイスラエル人が大脱出を行いますが、この時に
脱出したイスラエル人つまりヘブライ人は60万人。
これに多数の家畜が伴います。
結局、ヘブライ人がエジプトにいたのは430年
の期間でした。

エジプトを脱出したヘブライ人は創造主に庇護
され、創造主に従わないエジプト人はヘブライ人
を追いかけてきますが創造主が割って陸地が
表れた紅海を逃げるヘブライ人を追いかけて
入り込んできたエジプト人は創造主により1人
残らず紅海に飲み込まれて死んでしまいました。

創造主は自分の言葉に寸分でも違えば怒り
滅ぼす事が度々描写されています。

シナイ山で創造主がヘブライ人の主として
モーセに掟として言い聞かせ言葉を与える場面
がありますが、他のいかなる神々を崇めては
ならないとし、創造主である自分以外の神を
崇めたり偶像を作って崇拝してはならないと
戒めます。
その理由は自分は「妬みの神だからだ」と預言
しています。

創造主は妬むのか・・・。
それ故にヘブライ人が他の神々を崇めることを
許さずエジプト人のように自分を畏れない崇めない
民族は滅ぼすのでしょう。
なかなか日本人の神とは違いますね。
また別の箇所では創造主は憐れみの神である事をも
モーセに預言しています。

ヘブライ人に創造主との契約の儀式をさせる場面
では子羊の血を半分は壺に入れて、半分は身体に
浴びせる場面がありますが、日本人の私としては
どうして創造主に忠誠を誓う儀式で血を求めるのか、
なかなか理解しにくい感覚ではあります。

マナの壺やアロンの杖、創造主がモーセに与えた
10の言葉が刻まれた石板、そしてそれらを
収める聖櫃も出てきます。

聖書という大スペクタクル、3000年前から
の世界的ベストセラーが私という日本人にどのような
化学反応を生じるか、それを楽しみにしながら
日々、ページをめくりたいですね。

欧米支配階級は聖書に立脚して言動しています。
聖書の何が欧米支配階級を方向付けているのか、
また何が聖書を3000年も世界的ベストセラー
にし得たのか、私なりに日本人として紐解きを
してみたいですね。

私は天を敬い大地を敬い人間として天地人の
視野の中、天と地に生きるという感覚を大切
に保ちたいと思います。
私はお天道様を敬うという感覚です。
 
 
 
 
 
 
辞書並みに分厚い聖書。
現在は旧約聖書のレビ記までを読み終えて
民数記に入っています。
まだまだ先は遠いですが、3000年以上前
に記された人類のベストセラーを全て通読する
歩みは見た目で全体の10分の1の厚さまで
読み進みました。

旧約聖書、新約聖書がどこで日本人と重なるか、
それを感じる時があるか、その点を楽しみに
待ちながらページをめくっています。
バイブルは聖書という日本語訳ではなく
叙事詩であり天地人のスペクタクルだと
感じます。

アブラハム、イサク、ヤコブ、ヨセフと続いた
系譜の次の代のモーセとその兄アロンに創造主が
様々な預言を与えますが、エジプトから脱して
従ってきた人々が創造主に反発し始めて
エジプトにいた頃のほうが良かったと騒ぎ始める
くだりは人間描写として面白かったです。
それに怒った創造主はカナンの地を目指せと
偵察に出させた40日間を罰として40年間にして
荒れ野で羊飼いにさせました。
モーセが何度か創造主にやり方を諌めたりして
変更させる場面があり、昼は雲の柱として夜は
火の柱として幕屋に現れる創造主とのやり取りが
面白いです。

レビ人の役割は他の民族とは異なり特殊である
事が記されています。
またネフィリムという巨人も現れてきます。

創世記や出エジプト記は文学みたいでしたが
レビ記は創造主から厳しく細かく定められた
掟や決まり事が細々とひたすら記されたもので
レビ記自体は読んでいて創世記や出エジプト記
のような面白さはありません。
民数記も途中まで読み進めています。

支配階級は聖書を利用して中南米やアフリカ
等で先住民を大虐殺してきた歴史があります。
聖書そのものの内容と、聖書を利用して地球各地
で先住民を大虐殺して支配搾取してきた欧米支配階級
のやり方とは別に分けて認識しなければならない
と思います。
アメリカ支配階級が抱くマニフェストデスティニー
という、聖書の名において、イエス・キリストの
名の下に有色人種を絶滅させなければならない
という発想が依然として存在しますが、それが
現在の人口削減計画や様々なカルト的な手法を
生んできたという事実もしっかり見つめる必要
がありますね。

私は聖書を信じるとか信じないという視点ではなく
先ずは日本人として旧約聖書、新約聖書の全てを
通読してみよう、全てを通読しない限りは部分的に
断片的に聖書を論じても意味がなく、先ずは全体で
何が記されているのかを自分で把握したいという
知的好奇心に立脚しています。
なぜ3000年以上前に記されたものが今も尚、
地球各地で読み継がれ世界的ベストセラーであり
続けるのか、それを知りたいために聖書の全体を
通読する歩みを始めました。

通読し終えた後に日本人の歴史とどのように
接点を見いだせるのかが私自身が楽しみです。
日本の古史古伝と旧約聖書、新約聖書とを合わせて
日本の紐解きに至れば幸いですね。