『信頼って、どうやって作るか知ってる?』

最近残業続きですが、夜の会社はなかなか楽しいと思います。
昼食も摂らずに働きづめの人も多いので、お腹を空かせた人と餌付けする人のやりとりが面白かったり。
(意外な食の好みを知ったりもする。あ、○○さんは甘いのが好きなんだー、今度遠征のお土産に○○買ってこよう!と、参考にもなる。)
疲れてきた時の行動が人それぞれでおかしかったり。
(子供の写真見つめる、エアー素振りを始める、死にたい…って当人無意識に呟いている、PCに悪態つき始める、など。ちなみに私は23時過ぎると一人で笑い出します。)
勿論業務中なので仕事はちゃんとしていますが…
特に、時給で働いている身の自分は残業代が発生してしまうので(社員は裁量労働制の名の下に…ってやつ)一刻も早く帰るべきですし、終電逃して経費でタクシー帰りという技が使えないのでかなり必死です。
でも、朝から夜まで社会人の外向きの仮面を被り続けた“人”の素が垣間見える、この貴重なひとときが好きで。

そんな夜の雑談の中で聞こえてきた、冒頭の言葉。
ぱっと思い浮かんだのは「信頼は信頼でしか買えない」と言ったゆきのさんのMCでしたが(笑)、それって具体的にどうするのというお話。

その社員さん曰く、信頼を作るのは『約束と実行の繰り返し』なんだそうです。

言われてみれば当たり前のような気もするけど、そう言われた瞬間は目が開いたような気持ちでした。

約束って、私はあんまりしない。
機会が無いというのもあるけど、あったとしても、極力明言は避けるだろうと思う。
約束をして欲しいとも思わない。

彼の論理に従えば、信頼関係を築くためのスタートラインに立ってすらいない、ということ。

でも、他人に信じて欲しいとは思っていない。
信じたいとも思っていない。
そして、それが虚しい・悲しいことだとは思っていない。

「なるようにしかならない」と思っている。
誰にも悪意が無くとも、約束は嘘になることがある。
その時否応なしに生まれてしまう罪悪感や失望は、本来生まれる必要の無かったもの。
過去の一点で交わした気持ちが嘘だったわけではないのに、結果として「約束を守れなかった(守られなかった)」ことは咎め(嘆き)の対象になるのか?
逆に、過去の約束を守り通す為に現在の自分や相手に嘘をつくことは咎められないのか?
なんてことをよく考えている。
よく、頭がこんがらがってしまうけど。
保証などなく、約束もなく、「なるようになった」状態が最良なんじゃないかと。
ある時点での状況や感情を基に、言葉で未来までを縛る必要なんて無いんじゃないかと。
世間の認識とずれている自覚はあるので会話が噛み合わなくなるようなことはありませんが、約束は枷、強すぎる信頼も枷、というのが私の感覚で。
信じて貰えること自体は嬉しいけど、信じなくて良いよ、と思うし、相手を信じすぎると相手の負担になるんじゃないかな、と思ってしまう。流石にそれを言ったりはしないけど。

話を戻して、
彼の語りは続きます。

『やっぱり誰だって自由なのがいいじゃん? 信頼してもらえれば自由度も上がるんだよ!』と。

これも、よく考えたらその通りなんだけど、上に書いたように自分は真逆の認識を持っていたから、目から鱗。
仕事に例えれば簡単な話です。幸い、きっちり仕事する人間だと思って頂けているから、誰にも口を挟まれずに自分のやり方で進められて、フリーダムを満喫している。

…話を聞いていて、なんて健全な世界観なんだろう、と思った。
約束と、信頼と、自由と。
ごく一般的なキーワードなのに、それをきっかけにして頭の中に広がる世界は真逆。
一方の頭の中では自由と繋がっている信頼が、もう一方では不自由と繋がっている。
それも同じ空間で談笑しながら。
反論する気はなくて、寧ろ賞賛したいくらいで、ただ、全く違う論理の中で生きてるんだなと痛感した。

そんな健全な世界観に混ざって存在していることが日々心苦しかったりするんですけど、そこそこ自然に混ざっていられるんだから私もそちら側に行きたいと思えば行けるのかな、
とか、思ったりもします。


ところで、信頼について熱く語っていたAさん。
納期やら支払期限やら決算やら公的書類の提出やら、職務上の「約束」だらけの場で仕事をしている私としては、経費申請の締切なんかも守って頂けると嬉しいんですが…?

約束。


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