いままで管理釣り場で三回職漁師に逢ったことが有ります。
一回目は、今から十余年前に耳川新庄渓流の里です。
一月だったと思います。
渓流釣りを始めたばかりの頃、福井の二月解禁を控えて耳川新庄渓流の里に餌釣りに行きました。
耳川新庄渓流の里も日本イワナセンターと同じで、分水した渓流を分割してイワナを放流していました。
私の隣の区間に六十過ぎのおじいさんが来ました。
おじいさんは新庄渓流の里の主人に話をして、五十cmオーバーのイワナ一匹だけ放流してもらって、それを釣りあげると帰り支度を始めました。
話しかけるとこれから近所の渓流に入るそうです。
こんなおもりを使っているんだと、五十g以上ありそうなおもりを見せてくれました。
その当時、わたしは大きくても三Bまでだったので、驚いて二の句が継げませんでした。
二回目は、十余年ほど前の日本イワナセンターでした。
やはり当時の日本イワナセンターは餌釣りのみでしたが、その人はワームと重いおもりを使用してイワナをリアクションバイトさせていました。
年の頃はやはり六十歳ぐらいでした。
三回目は、二千十年四月です。
日本イワナセンターが六時開始になった月の月曜の朝だったと思います。
五時三十分に駐車場に着きましたが、先行者がすでに二台居ます。
先頭で入場したその人は、二時間券を購入すると三十L以上ありそうなクーラーボックスをガラガラと引きづりながら渓流ポンドに入場しました。
釣り始めると大型を次々に揚げていきます。
プラグを使って、二時間で尺上を五匹も揚げたでしょうか?
二時間後、クーラーボックスに入れて生け締めしたイワナを、事務所(クラブハウス?)の前で捌いています。
私は生まれて初めて他人を釣りで褒めました。
”じょうずですね!”
そのあとにその人は、私に言いました。
”あんたもイワナ屋かい?”
私もすでに二時間で三十匹ぐらいのイワナを釣り揚げていましたが、その人の技術には及びません。
でも、”イワナ屋かい”と言われて褒められた気がして”ハイ”と答えました。
なんと名誉でしょう。
職漁師に、職漁と認められたのです。
二千十年四月は、私の職漁記念日です。
一回目は、今から十余年前に耳川新庄渓流の里です。
一月だったと思います。
渓流釣りを始めたばかりの頃、福井の二月解禁を控えて耳川新庄渓流の里に餌釣りに行きました。
耳川新庄渓流の里も日本イワナセンターと同じで、分水した渓流を分割してイワナを放流していました。
私の隣の区間に六十過ぎのおじいさんが来ました。
おじいさんは新庄渓流の里の主人に話をして、五十cmオーバーのイワナ一匹だけ放流してもらって、それを釣りあげると帰り支度を始めました。
話しかけるとこれから近所の渓流に入るそうです。
こんなおもりを使っているんだと、五十g以上ありそうなおもりを見せてくれました。
その当時、わたしは大きくても三Bまでだったので、驚いて二の句が継げませんでした。
二回目は、十余年ほど前の日本イワナセンターでした。
やはり当時の日本イワナセンターは餌釣りのみでしたが、その人はワームと重いおもりを使用してイワナをリアクションバイトさせていました。
年の頃はやはり六十歳ぐらいでした。
三回目は、二千十年四月です。
日本イワナセンターが六時開始になった月の月曜の朝だったと思います。
五時三十分に駐車場に着きましたが、先行者がすでに二台居ます。
先頭で入場したその人は、二時間券を購入すると三十L以上ありそうなクーラーボックスをガラガラと引きづりながら渓流ポンドに入場しました。
釣り始めると大型を次々に揚げていきます。
プラグを使って、二時間で尺上を五匹も揚げたでしょうか?
二時間後、クーラーボックスに入れて生け締めしたイワナを、事務所(クラブハウス?)の前で捌いています。
私は生まれて初めて他人を釣りで褒めました。
”じょうずですね!”
そのあとにその人は、私に言いました。
”あんたもイワナ屋かい?”
私もすでに二時間で三十匹ぐらいのイワナを釣り揚げていましたが、その人の技術には及びません。
でも、”イワナ屋かい”と言われて褒められた気がして”ハイ”と答えました。
なんと名誉でしょう。
職漁師に、職漁と認められたのです。
二千十年四月は、私の職漁記念日です。