2014年10月1日は、記念すべき東海道新幹線50周年の日でした。
ニュースやらSNSのTL上ではそれ関係の画像やら式典の様子やらエピソードやら、そして勇躍このような↓一大イベントに泊り込みで参戦する若きお仲間たちの武勇伝が次々と流れてきたのでした。

私もせめて↑ぐらいのイベントには参戦しようかと思いつつも、長蛇の列は必至と想像された時点で諦めてしまったヘタレなのでした(汗
しかしご存知の方はご存知と思いますが、我々の生年の人間には「新幹線」にはひとかたならぬ想いがあります。
そう、NHK教育テレビで流れる
「びゅわーんびゅわーん、はっしっるー♪…じそーく250キロー♪」
というあの歌も、幼少期には特別の高揚感を感じつつ歌って育った世代なのです。
にもかかわらず、この記念すべき年にも日にも、何もできない…
これでは寂しすぎます。
そんなわけで、私が撮影した数少ない0系の画像たちを発掘して一席、二席。
私が一眼レフを構え出したのは2001年9月頃でしたが、それ以前は鉄道を”撮り鉄”らしく撮影したことはほとんど皆無でした。それでもやっぱり幼児の頃から大好きだった鉄道を、写真に留めておきたい、という気持ちから、そうでない方が撮影されるのと同じような感覚で撮った写真がいくらか残ってはいます。
とても残念なことですが、そういう時代の使用カメラはせいぜい「写ルンです」、マシになって「PENTAX ESPIO110」、もっと前はあの”ポケットカメラ”にすぎませんでした。
当然ながら、構図なんかめちゃくちゃです(涙
こちらは、そのエスピオ110で撮った、お別れ運転の1枚。場所は名古屋駅15番線と思われ、停車中またはその前後どちらかではないでしょうか。

当然のごとく日付入りで撮影してます(汗)撮影日は、この'99年8月28日で合っていると思います。
調べてみましたら、これは東海道で最後まで残った0系定期運用のこだま2往復に加えて、夏休み期間に3回(7/31、8/8、8/28)だけ運転された0系臨時「ひかり」の最終回、YK29編成による最後の0系16両「ひかり」(上り)であることが分かりました。よって、狙って撮りに行ったことは明らかです。一応当時もそれなりには考えて撮影していたみたいですね(^^;)
お別れ装飾(文字入り)運転はかなり長い間行われていた気がします。調べれば分かることではありますが、最終運転日がボンネットの装飾にあるようにこの後の9月18日で、さらにこの写真の1ヶ月ほど前の7月25日の「新幹線なるほど発見デー」でも会場内でYK40編成の文字入り先頭車の撮影をしています。
改めて気づきましたが、この時代ってまだ、ホームに安全柵がなかったんですね~。時代を感じます。
この後のネガには、改装間もなかった(?)近鉄の「ビスタEX」が写っており、確か、その重連が走るとかで、乗りに行った気がします。
確か、この0系運用を下調べして撮影に行ったと思うのですが、それに時間がとられたのか(?)肝心のビスタEX重連は乗り逃してしまい、後続のビスタで賢島まで往復しています(間抜けなのは今も変わりませんね…)
そしてこの度の記念行事にはまるで参戦していないダメダメな私ですが、やはり0系には格別の親しみと思い入れがあったので、今ではまずやらない、”式典会場への突入参加”を、当時敢行していたのでした。
その1999年9月18日の名古屋駅会場写真が、こちらです。

今見ると、かなり前の方で撮影できているのがとても不思議でしたが、実はこれは式典の終わった後の撤収にかかる時間帯のようで、赤いジャケットは楽団の方々でしょう、すでに立ち上がり楽器は片付け態勢のようです。
そして画面向かって一番左に写っているグレーのスーツの方は、時のJR東海会長であらせられた、須田寛さんのようにも見えますが、はてさて?
核心の0系東海道最終列車の撮影ですが…

今ではまずこういう状態が予想される現場には行きませんが、この頃はファイトがあったというかなんと言うか…
そういえば、キハ82「南紀」の最終日の名駅ホームとか、もっと昔の名鉄岐阜市内線の長良線最終日の新岐阜駅前とか、昔はよくもみくちゃになるような場面に参加してましたわ(懐
当然こんなのしか写っていませんね(^^;;;

グレーの作業服の方は、清掃の係の方と思われます。
それでも最後には、辛うじてこんな1枚が。

上の写真、大阪へ走り去る場面かと思い込んでいましたが、名古屋終着の「こだま」なので、これは日々津の車両基地へ引き上げていく場面ですね。
ちなみに上のたくさんのカメラやビデオが写っているカットが、このテール写真の1コマ前になっています。道理でそのカットの右端にちらりと見えている幕が「回送」になっているわけです。
そしてこの記事を書くうちに感じた疑問。
この記事の上から2枚目の、式典会場の撤収中の画像の中で看板に
「さよなら0系○○式」
とあります。
日々津に引き上げるのに「出発式」じゃおかしいし、見えている活字の一部も違うみたいだし…
と思って検索したら、これは「引退式」で、名古屋到着から日々津に引き上げるわずか数分の間に執り行われたそうです。
さっぱり覚えていない…(汗
近年になって、0系が長きに渡って製造されたのは、時の国鉄の労使関係が影響していただとか、技術的には進歩のない、停滞の時代だった、とか、あまり知りたくない歴史的事情や評価を知ることになりました。
しかしその長きに渡った存在の結果、我々の生年に開通した「新幹線」の代名詞として我々世代には特に親しみ深く、忘れられない存在になったのは確かだと思います。