立山線の終点、立山駅構内では、側線に留置しての撮影会がありました。
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デキ12021+ホキ81+ホキ82 立山にて (右下クリックで拡大します)
 
こうして見ても、立山駅がその名の通り、山深い所にあるのが分かりますね。
画面奥が立山駅で、この留置線は、スイッチバックした所にあります。
 
後ろからも。
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画面右側に見えているのは、さっき上って来た立山線の架線柱群です。
急勾配なのが、お分かり頂けますでしょうか。
 
ホキ80は、2両ともJRのホキ800と同型ですが、出自が異なり、ホキ81は1962年自社発注の富士重工製、ホキ82は1965年東急車両+協三工業製の元国鉄ホキ800形ホキ1749の譲渡車、となっています。
 
 
ボンネットの扉全開サービス(笑)。
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これこそ、撮影会でしかまず見られない、貴重なシーンでしょうね。
 
中身は、こうなっています。
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ディーゼル機関車のDD51のボンネット扉を開けた姿は見たことがありますが、凸型電機のボンネットの中は、初めて見ました。
素人目にもはっきり分かる抵抗器やコンプレッサーなど、機器がぎっしり詰まっていますね。
 
台車は「TT-53」という形式だそうです。
ここでしか聞いたことのない形式です。
軸箱が板ばねで支持されているところは、名鉄7700系やパノラマカーの最終形にも使われていたミンデン型と似ています。
 
 
製造銘板。
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昭和33年東芝製造。
同じ東芝製造の名鉄デキ600形は昭和18年製ですが、15年の間に無骨なデザインが、これだけ曲線を多用したスマート(?)なスタイルに進化するんですね。
この昭和30年代の初め頃は、電機においても電車においても一大エポックがあった時代で、従来の機構から一気に進化して、”新形”とか”新性能”とかとか呼ばれる車両が登場してきた頃です。
 
私がこのデキに惹かれる理由の一つに、同じ時代に作られた私鉄の電気機関車が、もともとほとんど存在せず、貴重なものである、ということにあります。
私鉄の電機は、貨物需要で製造されたものがほとんどでしょうが、貨物輸送の需要は昭和の途中で著しく減少しました。
そもそも旧型の機関車で十分足りていた輸送力が過剰となり、新しい機関車が作られること自体が少なかったと言えるでしょう。
そんな中に新規製造された電機の数少ない存在の中の、また希少な生き残りであるわけですね。
 
 
デキの形式の切り抜き文字と、地鉄の社章。
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「デキ12021」・・・地鉄の電車と同様に桁が多く、何だか近鉄特急みたいな車番です。
地鉄の電車は、上から3ケタで”モーターの出力を馬力(PS)で表し、下2ケタで形式と車号を表すそうです。
それを適用するならば、これは”出力120PSの20形1号機”と読めますね。
(※9月12日追記:いくら何でも、1両当たりの出力が120PSでは非力すぎます。モーターが4個付いているそうなので、1個当たり120PS、つまり総出力480PS、といったところでしょうか)
 
このデキ、もともとは関西電力の所有で、有名な黒四ダムの水を利用して発電を行っている黒部川第四発電所の建設資材を運ぶために製造されて、工事終了後に、地鉄に譲渡されたという機関車だそうです。(詳しくはこちら=ウィキペディア「富山地方鉄道デキ12020形電気機関車」
名鉄にも、似た経歴のデキ250形というのがいました(こんなのです)
 
 
 
約1時間の撮影タイムを経て、立山駅ホームへバックで転線。
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デキをじっくり間近で観察でき、ボンネットの中まで見られて、充実した撮影タイムでした。
 
 
(つづく)
画像はすべて、'10.8.28撮影
 
 
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