different or same? | dick-karinさんのブログ

different or same?

朝起きて、歯を磨き、食事をし、家を出る。いつもの朝の風景だ。
目を覚ますことは当たり前だが、「生きていた。昨日と変わらない。」と思うことは、そんなにない。
今の私には「昨日と変わらない」のが不満だ。いつも通りがっかりする。何も変わらないことに。

「変わっていて欲しい」と、夜、床につく前に期待と不安を抱き、目を閉じる。
なかなか寝付けない。現実と期待と不安が交錯し『本当の自分』が現れる。夜行性の動物というわけではないが、その姿が世間一般には到底受け入れてはもらえないので、夜人々が寝静まった頃にノコノコと来るのだ。これも、『いつも通り』になった。
この行動は小学生の頃からだが、泥のように眠る日以外は現れるようになった。
しかし、ある日からは、その行動は昼間にも現れるようになっていった。
幼いながらも、昼でも決して覗かれることのない、究極のプライベートスペースを発見したからだ。
公然でありながら、一番私的な時間と場所。
『トイレ』だ。

しかも、ちょっとハズれた場所のトイレ。体育館裏や特別教室が並ぶ棟の4階の端などの、更に人目に付きにくい場所を選んだ。
その頃は、まだ「良心」というものが、幼心にも働いていたのだろう。誰にも見咎められないとわかっていながらも、小さな物音1つにも怯えていた。

そんな私が個室で何をしていたかというと、トイレットペーパーを細く折り『包帯』に見立て、手や足に巻いて喜んでいた。
さすがに手に巻いてそのまま外に出れば、何と言われるか、理解は容易にできたから足に巻いた。
足に巻いたまま、上から靴下を履いて、わからないようにした。
満足したらトイレに流し、痕跡はない。端から見れば、何とトイレの近い子だったろう。しかし目的が違ったのだからムリもない。

今は安価で良質な包帯も2~300円も出せば簡単に手に入る。しかし、昔の田舎の子供には、100円すら大金であった。
手っ取り早く味わえる子供らしい『快感』だったのだ。
しかし毎日という訳にもいかなかった。靴下を脱がなくてはいけない日には他の子に見つかってしまう。プールの日。
しかも夏はサンダル履きの日も多く、靴下は履かない。さすがに諦めた。
同級生に他の子とは違う『特徴』を持つ子が何名いた。彼らは学校の作文で「ジロジロ見ないで」と訴えていたが、私には彼らが羨ましかった。
そんなこともあり、私は『体』に対して特別な『思い』を持ち、人と違うと認識し始めた。