皆さんおはようございます😃
スケートボードの競技をみて自分の13歳を思い出す事よりも、娘と同世代がオリンピックで活躍してる姿をみてとても温かい気持ちになったシンタニです

No.00007の続きです

なにがターニングポイントだったかと言うと記念面接と割り切って受けていたので間違いなく落ちるしそのためにわざわざ金髪の髪の毛を黒く染めるのはもったいなく、コクサイ(スプレーで黒くするやつ)をふって挑んだ採用試験

全く手応えもなく「⭕️月⭕️日に合否については連絡差し上げます」

っていわれたのもすっかりわすれてて、その日を迎えたら一本の電話がかかってきて
「採用させていただきます」のご連絡が
最初 ? なんのこと?
面接を受けたことも忘れてて
は!って気づいて
「ありがとうございます」
と初面接にて採用が決定しました(笑)

福井で1番を誇り 東京や大阪に進出している会社だったって事もあり

採用一年目は東京勤務だったにも関わらず
「ちょっと本社が忙しいから敦賀戻ってくれる?」
と言われて、東京にアパートを残したまま敦賀の寮に入り半年が過ぎたくらいに
「もう本社採用にしたから」
と、言われ
俺の東京ライフが....って思いましたが
意外にもその現場監督の仕事が面白く
文句は言わずに黙々と働いて4年が経ったころ
そこそこ大きな現場を任されるようになった矢先
親父からの着信が
とると
「大輔、新谷組ついでくれへんか?」
僕は秒で
「嫌です」
とお断りしました(笑)
別に新谷組が嫌いだったわけではなくて
僕を現場監督として育ててくれた先輩や上司が本当に目を掛けてくれていてそれを裏切れないとおもったからです

そこからも2回ほどお願いされましたが
「ノー」と言い続けて半年が経った頃
今度は母親が
「頼むしかえってきたってくれへん?」
と言ってきて
母親にだけは本当に迷惑をかけてきたので
そろそろ帰ろうかって決心しました

自分が任されている現場を8月30日までにきっちり終わらせて、8月31日に本社に荷物を取りに行き挨拶回りをし
9月1日から新谷組に入社しました

といっても家族経営で社長(父親)役員(母親)そして外注の大工さん2人と僕だけの本当に小さな会社?でした

そこからは親父とその大工さんたちに技術を学び8年間修行しました

6年目くらいから図面の勉強もし始めて

友達の家を建てさせてもらったりから始まり少しづつ設計をするようになり段々と今のスタイルにかわってきて


今では設計と営業がメインの仕事になりました

ただ、今でも現場の職人たちには

「いつでも現場でれるし、おれがやったら1番はやいからな!」と伝えてます   

もう根拠はないですが(笑)



自分の家を最後にそっと金槌と差金を置かせていただきました😂


とまぁ、自分の半生がブログ2回分のボリュームしかないことはさておき
これからは10数名を超えた社員さんとさらにお客さんの幸せな未来を創造していきたいです