みなさんこんにちは😃
最近は風呂がわりにサウナに入っていてお風呂は水風呂にしか入っていないシンタニです。この時期の瓜破の水は最高に冷たいです(笑)

今日のテーマは

「AIの時代に、“手のあと”が残る仕事で。」

AIはこれからを生きる上でものすごく重要かつ取り入れなければ時代の流れにすぐに取り残されていくことは目に見えています。
ただ、全てがAIに変わるもしくは変える必要があるのか?建築の観点からいろいろ考えてみました。

AIが図面を描き、パースを作り、文章まで整えてくれる時代になった。

この間なんかこちらで作った図面からお客様自身がAIでパースを作ってきてくれました(笑)

ほんとびっくり(笑)


もはや、打ち合わせ資料も、広告コピーも、ほとんど人の手を介さなくても形になってきます。


数分で出てくる提案図面や完成イメージを見ていると


「もうAIがあれば建築士いらないんじゃない?」

そんな声さえ出てくる。



でも、僕は現場に立つたびに思う


“手のあと”が残る仕事には、AIには出せない力がある。

左官職人のコテ跡、木大工の鑿(のみ)の跡、
図面上ではまっすぐなはずの線が、
現場では少しだけ揺れて、温度を持つ。

それは「誤差」ではなく、「人の気配」だ。
同じ図面、同じ材料、同じ手順でも、
人が違えば仕上がりが違う。
その“わずかな違い”にこそ、人間の美しさが宿る。


AIの精度は確かにすごい。
建築も、デザインも、文章も、あっという間に形になる。

でも、“かけた時間”や“迷いながら考えた過程”こそが

本当の「価値」を生むんじゃないかと思う。


人の手が動くとき、そこには意図がある。


「この素材の手触り、好きだな」
「こっちの光の入り方の方が落ち着くかも」
そういう小さな判断の積み重ねが、空間をやさしくする。

家づくりって、本来“正解”を探す仕事じゃない。
“その人らしい形”を探す仕事だ。
AIが出すのは「正確な答え」だけど、
僕たちは「納得できる答え」をつくる。

壁を塗った職人の跡、
床に残る微かな手のしわ、
家具の木目の不揃い、
そういう“ゆらぎ”が、空間に深みを出す。


AIが進化するほど、
僕らの仕事は“人の手の跡”を残すことに価値が出る。
完璧じゃなくていい。
むしろ少しの不揃いこそが、ぬくもりになる。

“効率”の時代の次にくるのは、
“温度”の時代だと思う。

AIが描けないのは、「心の余白」。
そこを大切にできる人と仕事をしていきたい。

AIの時代だからこそ、

人の手のあとが残る仕事を、LIDGE HAUSでやり続けたいと思います。


ちなみにトップ画はAIにテーマを入れたら秒で出てきたやつです(笑)