彼女に手紙を出そうと私を突き動かしたのは、Mさんからの便りだった。
クローゼットの捜索の末、Mさんからの封書を発掘した。千葉の消印だが、封筒はエアメールのデザイン。留学先で買ったものが余っていたのだろう。実に30年ぶりに中をあらためる。2穴のルーズリーフ2枚が六つに折りたたまれていた。罫線に沿って、青の水性ボールペンでびっしりと書かれている。途中で青ペンがかすれてしまい、2枚目は黒のペンに替わった。
<Mさんから私宛ての封書>1996年4月4日付
Dear 〇〇〇〇(私のファーストネーム)
お元気ですか?お祝いの言葉、どうもありがとう。1年間たいしたこともなく、また1つ年をとってしまいました。誕生日の翌日がTOEICの試験だったから飲みに行くこともできず、おまけにカゼ引いてとてもだるい22回目の誕生日でした。
お察しの通り私は毎日ダラダラと生きています。10:30に起床し、暴れんぼう将軍を見ながら朝昼兼用ご飯を食べ、3:00頃に近くのスーパーまでドライヴして夕飯の買いものをして、夕飯作ってTV見ながら食べて、その後TVを見続け、3:00くらいに寝てます。もうすぐ学校始まるから、こんな生活も終わりにしたいんだけど、実際どうなるかは分かりません。あとは卒論だけだから、学校も週2回くらいしか行かないだろうし。
就職活動はいかがですか?〇〇(私のファーストネーム)のことだからバリバリ企業セミナー等渡り歩いておられることでしょう。ずっと前にM(※留学仲間、以下同じ)と電話でしゃべってたら就職活動に対する心構えが全く違うことに気づいた。すごいねえ、Mは。私の出した資料請求ハガキなんて50通にも行かないのに、、、「あんた、それで大丈夫なの??」と心配されて、実際あせったけど、そのあせりも長続きせず再びボーッとしてます。
まあ、私は私なりに活動してます。ぼんやり資料請求してたら、働きたいって思える会社が見つかったので、今はその会社ひとすじでアプローチしてる。すごく小さいコンピュータ会社なんだけど、ソフトのローカライゼーションやってて、そこで翻訳に関わる仕事ができたらなぁって思ってる。人事部長とローカライゼーション部長の2人に会って話を聞く機会もくれて、対応はすごく良い。人手不足っていう状況だからなおさらだけど。しばらくアルバイトとして働けないか頼んでいるところで、現在結果待ちです。新横浜にある会社だから、普段はバイト、無理そうだけれど、夏休みなんかの長期間コンスタントに来れる時だったら雇っても良いと言われた。でも、すべてはトライアルの結果しだい。英→日のトライアル(翻訳)なんだけど、コンピューター用語についての知識がないから、ちょっとというよりだいぶ不安。文章じたいはそんなに問題ないんだけど専門用語を普通に訳してしまっていないか、すごく不安です。ってなわけでこの会社と出会ってからは他の会社にアプローチする気が失せてしまって、資料請求ハガキも30ちょっとでストップです。ここがだめになったら、その時はその時で人材派遣会社にでも登録して食いつないでいくよ。
ペンを替えます。青いペンが死にそうなので。この間、O(※)と電話で話した。相変わらずだった。3月に大阪へ遊びに行った時、ついでにOにも会えたらいいなって思ってたんだけど、追試で忙しい時期だったらしい。残念、、、。
大阪では、Y子(※)のところに泊まらせてもらって、S(※)にも会えたし、◇◇◇(留学先の大学)からの交換留学生も何人かいて、楽しいひと時を過ごしてきた。みんなあんまり変わってなかった。
M子(※)にも、TOEICの日にお互い会場が一緒だったから同じ千葉に住んでいながら3ヶ月ぶりにようやく再会できた。今週末はM子とY(※)と、千葉に引っ越してきたH(※)とドライブに行く予定です。みんな久しぶりだからすごく楽しみ。学校が始まったら、Sをはじめとする◇◇◇(留学先の大学)からの留学生たちにまた会えるかなと期待しています。EとJにはもう会った?大阪に行った時は会ったけど、あの2人もあんまり変わっていなかった。
留学中に得たものの中で一番大きいものって言ったら、やっぱり友達じゃないかな。月並みだけど、それ以上に価値あるものって私は持ってない。自己PRとして面接官の気を引くものを求めて無理やり何か考えるよりも、もっと素直になっていいんじゃないかな。「友達」っていうカテゴリーからどんどん発展させてって、エピソードなりなんなり作れるような気がする。えらそうだけど、私の頭ではこれくらいしか考えられない。これだ!!って思えるような話が思い付けばいいんだけどね。
それではこのへんで。就職活動頑張ってね。人ごとみたいだけど前述の通り私はばりばり動いているわけではないし、これからも多分マイペースに動いていくと思うので。〇〇(私のファーストネーム)だったらきっと行きたい企業にうまく自分をアピールしていけると思う。私も私なりに頑張るので、お互い頑張っていきましょう。Y子も東京都民になったことだし、いつかみんなで集まれたらいいね。それではまた。
04 APR. '96
●●●●(Mさんのサイン)
P.S. 23歳、おめでとう!
すでに書いたように、Mさんと私は前年の留学仲間で、留学先で出会った。そこで私は片思いの恋に落ち、意を決して告白したもののあっさり振られた。当然ながら気まずくなり、ギクシャクした関係を修復できぬまま1年の留学期間が終了。それぞれ帰国していた。この手紙は帰国して3か月経つころだ。
かなり長い文面だが、今読んでも素敵な手紙だと思う。率直、誠実、聡明、芯の強さ、思いやりといった感想ワードが次々と浮かんできた。意外なことに、私からボールを投げていた(バースデーカードか?)。Mさんは飾らない日常を見せ、周囲の就活状況に焦りながらもマイペースを貫きたいと明かし、私が吐露したであろう自己PRの悩みについて自分なりの考えを記した。追伸には「23歳、おめでとう」とある。Mさんは私の誕生日が4月であることを覚えていて、お祝いの言葉への「お返し」をしたのである。
告白を断ったという気まずい立場にありながら、青いインクが切れて黒いペンに持ち替えるほどの長文を書いた。内容も気を遣っただろうしそれなりの時間を費やしたはずだ。私は日記で「書きにくかったろうに」と想像した。確かに、自分の振った彼女に対する態度とは「えらい違う」。私はといえば、5通受け取りながら「書きにくかった」返信から逃げ、一年間日本を離れたのだ。
Mさんが手紙に込めた本質は「留学で得た一番のものは友達」という部分だ。手紙の後半では留学仲間との再会を楽しんでいる様子が分かる。告白され、振ってしまったことで私との縁が切れることを、Mさんは気にしていたのだろうと思う。そこへ私から「お祝いの言葉」が来た。私を傷つけた自覚があるからこそ、無視したり短く済ませたりするのではなく、過剰なまでの自己開示をして「日常」を共有することで、友情を修復しようとしたと想像する。「ダラダラと生きている」「就活はボーっとしてる」というやや自虐的なトーンは、「振った側」の罪悪感と思いやりからあえてそう見せたのではないか。相手より優位に立たないよう、自分を低く見積もって示したのだ。
そんな優しい手紙は、就活で不安な毎日を過ごす私には文字通り涙が出るほどのプレゼントだったろう。日記には「何度も読み返した」「うれしかった」と書いている。心に刺さった一通は自分を突き動かすのに十分だった。「振った側」としての不誠実を痛感しただけでなく、「自分もまだ彼女と修復できる」という望みを抱いた。それが3週間後の手紙となり、彼女の返信(6通目)につながっていく。
今振り返れば、これが「手紙」であったことは幸運だった。LINEのような即時的なツールであれば、これほどの自己開示は細切れの表層的な会話に終始していただろう。考えをまとめ、推敲し、一気に書き上げる手紙だからこそ、気まずい相手に対するMさんの葛藤や、深い思慮が重層的な厚みを持って伝わってくるのだ。SNSのない時代、Mさんが時間をかけて筆を執ってくれたという事実に、救われるような思いがした。
文中のあるくだりにデジャブ感を覚えた。
文脈は違えど、Mさんも彼女も、自信過剰な私の未熟な人間性を見抜き、直接伝えてくれていたのだ。当時の私は、自分よりはるかに精神性が高く、誠実な女性たちと接点があった。プライドばかり高かった私は、Mさんを「やさしい奴」とは認識しても、自分がどれだけ出会いに恵まれているかまでは分からなかった。
今回思い出したことだが、この数か月後、ある企業の最終面接で「あなたが留学で得たものを英語で答えてください」と聞かれた。私は「単位よりも英語よりも、一番は友達です」という意味の返答をした。迷わず言葉が出てきたのは、Mさんの「素直になっていいんじゃないかな」というひと言が心に刻まれていたからだ。
Mさんは「みんなで集まれたらいいね」と書いた。二十年ぐらい前に一度だけ、留学仲間の集まりで再会したのが最初で最後だ。
元気にしてるだろうか。
