10通目は98年8月7日の消印だった。前の9通目が7月26日だったから2週間も経っていない。
80円切手は小林古径という日本画家。封書はトリコロールの可愛らしいデザインで、ヨットや旗のワンポイントがエンボス加工で散りばめられていた。この前月に開催国フランスの優勝で終わったばかりのサッカーW杯の余韻が伝わってくる。文末の署名には前回に続いて落款印が押されていた。このころ気に入っていたようだ。
<封書>1998年8月7日消印
この前は電話が切れてしまって、ごめんなさい。 ●●さんが私と同じような悩みをもっているだなんて、本当、おどろいてしまいました。大学の頃だったら、いつも自信満々で、でもその反面、人の言い分を聞かないような面もあったように(おこらないで!!)思うけれど。
今の●●さんは、とっても素直に、人の話をきけているように思えて、それはすごく大切なことではないでしょうか。今までの自分のやり方や、物の考え方が根本から変えられているとすれば、きっとそれは変わることが必要だからでしょう。必要もないことで悩んだりはしないもの。 でもきっと、そのうち、自分の意見を表現するすべも分かってくるように思います。その時は、以前よりもっとコトバに深さや重みが加わってる気がする。大丈夫さ、●●さんだもん。
私は…きっとこれから研修で、優秀な同期に対してあせって自信なくすだろうけど、少しずつでも自分が前より〈※原文は傍点〉進めているな、と感じられたら良いと思っています。 自分に負けた時は、きっとこの仕事をやめる時でしょう。なんて、強がったりして。
よく分からない文ですみませんが、お互い頑張りましょう。
〇〇〈※彼女の名字と落款印〉
文面は二人の電話が切れた場面から始まる。この頃は、卒業前後の冷たい断絶が嘘のように、たびたび電話や手紙で会話するようになっていたようだ。電話の続きならまた電話を掛ければいいのにとも思うが、この話題は自分の考えをまとめてきちんと書きたいと思ったのだろう。几帳面な彼女らしい。
「●●さんが私と同じような悩みをもっているだなんておどろいた」「今の●●さんは、とっても素直に人の話をきけている」「大学の頃は自信満々の反面、人の言い分を聞かないような面もあった」——文面から強く伝わってくるのは、彼女の前で文字通り鎧を脱いで、自分の弱さをも打ち明けるようになった私の変化だ。
いかに自分が変わったか。例えば大学時代の3通目(95年1月)からの引用。
暇つぶしになるかと思って、サークルの会報を持って来ました。
「俺は暇じゃない」と反論されそうですが・・・
もっと自分の体を大切に、そしてもっと人を頼って欲しい。
●●さんのこと、本気で心配している人たちがいることを忘れないで。
●●さんが考えているより、もっと人って信じられるものじゃないのかな・・・
それから3年7か月経って、傲慢で尖っていた私が、「とっても素直に人の話をきけているように思えて、それはすごく大切なこと」と彼女が認めるぐらい「素直」になっていた。それは彼女が手紙という形で送り続けてきた圧倒的な誠実さによって無意識に「教育」されたことが大きい。それに加えて、留学先で痛い失恋をしたり社会人になって壁にぶち当たったりした経験を通して、遅ればせながら少し成長したということだろう。
私がどんな「悩み」を吐露したのかは分からない。ただ、「そのうち自分の意見を表現するすべも分かってくる」「その時は以前よりコトバに深さや重みが加わってる」という彼女の助言から逆算すると、例えば仕事について何か意見や疑問を口に出しても上司や先輩に聞いてもらえない、みたいな不満があったのではないだろうか。この時は社会人2年目。半人前だが主張は強い「若手社員あるある」に陥っていたのかもしれない。
そんな私に彼女はカウンセラーのように耳を傾け、変化を肯定し、精一杯応援している。「大丈夫さ、●●さんだもん」という言葉は、私の人間性をずっと見つめてきた彼女にしか言えない理屈抜きの肯定だ。
手紙の終盤で彼女は、周りの同期と比較するのではなく「少しずつでも自分が前より進めているな、と感じられたら良い」と書いている。特に「自分が前より」の6文字を強調して傍点を付けていた。これは私に対してだけでなく、何かと他人と比べて落ち込みがちな性格を自覚している彼女が自身に言い聞かせたのだと思う。メンタルコントロールという言葉が一般的でなかった時代に、その鍵を知っていた彼女の強い精神性に驚く。
彼女との温かく打ち解けたやり取りは、25歳の私にとってオアシスのような時間だったことだろう。このとき私は交際相手がいなかったので、恋愛感情を再燃させていてもおかしくはない。しかし、水戸と鳥取という、地方都市同士の500キロは余りにも遠すぎた。仮に引かれあう瞬間があったとしても、離れて働く二人がリアルに付き合うことは想像できなかったと思う。「お互い頑張りましょう」と言うほかなかった。
この10通目は、二十代前半の私と彼女が4年かかって築いた信頼関係の到達点だった。もし二人が地方ではなく、東京で働いていたらどうなっていただろうか。28年ぶりに読み返して、そんな「歴史のif」を考えてみたくなった。


