22歳の私は、日記に「自信がない」「淋しがっている」と書いた。

 

大学の4年目に休学して一年間の海外留学から帰国したとき、同級生の多くは就職先が決まっており間もなく卒業していった。

同学年でひとり残る孤独感、就職活動の不安、満たし合う彼女がいない寂しさ。それらが脳内で混ざって渦を巻いていた。

 

スーツ姿で選別され、「何者かにならなければならない」重圧の中で、私はかつて自分を全肯定してくれた彼女に救いを求めた。それは、身を削るような思いで私と決別した彼女にしてみれば身勝手な話だ。だが、自己嫌悪に震えつつ彼女に甘えるしかなかった22歳の「弱さ」も理解はできる。

 

彼女に手紙を出すまでの一カ月間に、彼女の名前は日記に3回登場していた。

 

〈私の日記〉1996年3月25日(月)

今日は卒業発表ということで、大学に行ってみる。コンピューターが主目的で、電子メールにハマる。就職相談室にテレ朝があったのでひと安心。帰って寝る。

起きて夕方マスコミ志望書を書こうかというとき、YからTel。Cが来るので飲むとのこと。Y、○○(彼女の名前)、K、C、O。よく分からず。

8:30、寮に男たちと行く。部屋を掃除しようとするが電気が付かず。そこへ○○とY現る。真っ暗の部屋で3時まで飲む。語る。帰国後初めて、この2人と話らしい話をした。しかし消化不良なのはなぜだろうか。

 

NHKがダメだった!!

手紙を投函する1カ月前の日記。後輩のYから声がかかり、卒業したばかりの友人Cを囲んで飲んだ。そのなかに彼女もいた。真っ暗な寮の部屋で午前3時まで話すとはなかなかの展開だ。「真剣だった」発言は、この日で間違いないだろう。

 

 

〈私の日記〉1996年4月8日(月)

寝て、寝て、寝まくって午後に起きる。共同通信を出してまたウトウト。SのTelで起きる。10日、この家でやることになった。どれだけ来てくれるのだろう。

 

ハガキは2枚しか書けなかった。夜更かしした割には。

Mからの手紙が届いた。30分ぐらい何度も読み返した。うれしかった。書きにくかったろうに、きちんと返してくれるとは何てやさしい奴なんだろうと思った。自分が○○(彼女の名前)に対してした態度とはえらい違う。

手紙の17日前。便りをくれた「M」というのは、留学先の大学で一緒だった同い年の日本人女性だ。留学中、私は彼女に苦しい片思いの末、告白して振られた。私が2年半交際した相手とついに別れたのは、この片思いがきっかけだった。

 

 

〈私の日記〉1996年4月16日(火)

今日も9:50に電話の前に座り、かけまくる。11時につながり、まだ2000番にも行っていないことを知り肩すかし。バカバカしい。

寝て起きたら2時。雨が激しく、奥多摩などに行く気はしない。

 

日経、テレ朝ともに通過の通知はうれし。

 

バイトはNと。もうこのバイトにも再び飽きた。ゼミもバイトも、面白い人間がいない。○○(彼女の名前)に会いたい。

 

明日は日経をやらねば。

センタクもしよう。

手紙の9日前。春なのに、心がすさんでいる。

 

  

新たに判明したこと。彼女に手紙を出したのには、ただ再会したからではなく、Mさんからの手紙というきっかけがあった。

・3月25日に、帰国後初めて彼女ときちんと話した。「告白された時は真剣に考えた」と伝えた。

・この再会がきっかけになり、彼女と関係を修復したいと望むようになった。

・そんな中、留学先で私を振ったMさんから手紙が届き、嬉しくて「30分ぐらい読み返した」。

・私は彼女に対してはMさんと同じく「振った」立場でありながら、相手(私)を思いやれるMさんと、傷つけたまま放置している自分との態度の違いを思い知らされた。

・キャンパスから同級生が去った春、不安や孤独感が強まる一方、彼女への欲求をはっきり自覚するようになった。
・Mさんにならい、私も彼女にきちんと手紙を書き、距離を詰めたいと考えた。

 

では、自分の酷薄さを気付かせた「Mさんの手紙」とは、どんなものだったのだろうか。