随分と間が空いてしまいましたが
前回書いた雑誌記事の続きで
個人的に気になった点 興味をひかれた点について
取り上げてみたいと思います。

現に不登校のお子さん対応で
我が子の現状を受け入れるということに
心を砕いていらっしゃる方にとっては
かえって焦らせるような内容となっているかもしれません。
決してそれがダメだと記事で書いている訳ではなくて
亀山氏の視点が全く別のところにあるということなのだと思います。

実際の記事は小冊子24ページにも及ぶ
インタビュー記事としてはかなり長大なものです。
言葉が足りない点や私の能力不足で
お伝えしきれない点があることを
あらかじめお伝えさせていただきます。
ご興味持たれた方は是非原文を目にしていただきますように。

そもそも私が読んでいてまず疑問に思った点は
若者の間に見られる「明るい孤立」が
なぜだめなのか? という点でした。
もちろん、感覚的には受け入れがたいもので
出来ることなら社会に出て働き
生活の糧を得て 家庭を築いていくことが良いという価値観は
自分自身の中には抗いがたくあるのですが
でも我が子の不登校で悩んだ時には
そうはならない道人生も息子が選ぶのならば受け入れざる得ないと覚悟し
いざっとなれば 人に迷惑かけないで
一人好きなことをやって暮らしているのなら
それでもいいのでは? と自分自身に言い聞かせてきたので
なぜ克服すべき深刻な事態としてとらえられているのかを
改めて確認しなければ
他の書いてあることもなかなか納得できないと思ったのです。

それに対する亀山氏の答えは主に以下の3点に集約されていました。

第1点 若者の孤人化は生身の他者の不在化であり
   それは倫理(善悪という意味でしょうか?)のベースを崩壊させる。
   他者がいて初めて倫理は成り立つのでそれがなければ
   倫理は機能しなくなる。

第2点 生身の他者の不在は 自己不在、自己喪失
   更には存在感生きている感覚や生命感が希薄になり
   人間としての存在の危機を意味する。  

第3点 この状況は悪循環となり
    本人も孤人化からの脱却状況克服の展望がみえないし
    また世代的なデススパイラルとなって
    後の世代にも影響を与える
    
というものでした。

ここで取り上げたのは
親の立場や カウンセリングの方のおっしゃることとは全く別の
大学で倫理学を教えて来られた方が
その視点から社会構造を考えるというスタンスで書かれたものです。
個別のケース 個人レベルでの対応は言及の範疇ではないことを
お断りしておきますね。

そのうえで改めて亀山氏のお考えを書くと
そもそも日本の戦後思想 近代の自立モデルとは
他人を頼らず一人で生き 
自分で何でもできるというものだったが
現実には自立ではなく自己感覚をも喪失させる
孤人化に帰結してしまっていて
そもそも個人主義という考え方も見直すべきなのではないか と
書かれていました。