不登校で勉強が遅れている場合についての
とあるブログ記事を読んで
私自身のことを思い出しました。

私は不登校経験者ではないけれど
やはり勉強が全く分からなくて
投げ出したいときがあったなぁ と。

それは大学生になってからの専門分野の勉強で
私の場合 大学は自分の意志というよりは
両親の勧めというか 
実用の学でなければ女子が四大に行く意味はない
という時代錯誤の男尊女卑的な発想から
でも 当時にしてみればわりと
ないわけではなかったような狭い選択肢の中で 
半強制的に全く興味のない分野に進み
見事に肝心なところでつまづいてしまったのでした。

当初は分かりたい という気持ちにもならなかったし
必死になって勉強する気にもあまりなりませんでした。
私にとって専門の勉強は他言語に近い感覚がありました。

だとしたら この大学の選択は失敗だったはずなのですが
その後も私はその専門分野の勉強を続け
紆余曲折はありましたが
現在はそれを仕事にまでしています。

全くわからなくなってしまったあの時に
勉強を投げ出さなくてよかったな と思います。

詳しくは省略しますが
自分のやる気スイッチが入った時に
根気よく丁寧にわかりやすく教えてくれた師との
出会いが大きく
分からなかったことが分かるようになる楽しさというものも
その過程を通して存分に味わいました。

わからなかったことで本当はわかりたかったこと が
わかるようになること


できなかったことで本当はできるようになりたかったこと が
できるようになること 

それは 絶対楽しいものだということは
私も そんな経験があったので
不登校とは又全然違うでしょうが
自分なりに理解できます。

勉強という言葉を使うとうんざりすることもあるのかもしれませんが
知る という言葉に置き換えると 素直にうなずけるのかもしれませんね。^^