卒業した というブロ友さんたちの記事をちらほらと見かけます。
今まさにそんな時期なのですよね。
息子も私も学校から遠ざかった生活をしていて
なかなか自分たちの生活の中では
そんなことすら気づかない状態だったりしました。
息子の通う学校は卒業が形式的なもので
だいぶ通常より遅めの卒業式なので
余計に感覚がずれているのかもしれません。
私自身は 我が子の卒業とか 卒業式とか もう私にとって縁がないことと割り切って
期待も感傷もなく そのキーワードには何も反応しないという境地にまで達して
過ごしていました。
それでいいのだ と思っています。
見つめる未来はちゃんとある。
今 とても穏やかな気持ちでそう思っています。
ただ、息子は違うのだ と最近気づきました。
前回の記事で息子の卒業文集の原稿への取り組みを書きました。
結局 あの時は しばらく机の前で必死に何か書こうとして
やがて挫折し 原稿を投げ出していました。
私ははたから見守っていましたが
かける言葉は見つかりませんでした。
きっと息子の中で思うところはたくさんあったのでしょうが、、、、、、
そして今朝 息子は起きるなり
今日学校行ってくる
と言いました。
言うまでもなく 今日は日曜日。
だから良いのでしょう。
文集の原稿をボックスに入れに行く とのことでした。
まだ 息子 原稿を書くこと 諦めていなかったのです。
ただ やはり何を書いていいのかわからないようで
珍しく 私に 何を書いたらいいと思う? と聞いてきました。
なので私は これからのこととかを書いてもいいんじゃない とだけ言いました。
今部屋に籠って何やらやっています。
文章が書けるかどうかはわかりません。
私としては急かすつもりも 無理に書かせるつもりもないですが
息子が 文集を通じて 自分の あの学校にいたという証しを残そうとしているんだな
ということを強く感じています。
毎晩の一緒のジョギング(帰りはウィーキング)の中で
息子が呟くようにして自分の気持ちを語るのを聞きながら
親としては意外なほど彼が今の学校に
いろんな思いを抱えていることに気が付きました。
大人になった時に 誰か自分を思い出してくれるのだろうか とか
同窓会があったら自分は呼ばれるのか とか。
やはり 本人と 親とでは思いが違うのだ と改めて思います。
私があっさりと(でも 相当な葛藤はありましたが)捨て去った思いを
息子はやはりまだ じくじく と心の中で持ち続けている部分はあるようです。
未練 とか 後悔とか ではなくて
自分が存在した証し
沢山空白のある中学時代でもたしかにあった思い出
そんなものを大切にしようとしているのだな ということを感じます。
先日は学校の先生と息子が電話で直接会話し
セレモニーに参加するのは無理だけど
卒業式の後のお楽しみ会のようなものに
もしできれば参加したい と伝えていて
その落ち着いた話しぶりや前向きな姿勢に
母親としては 又驚かされました。
確実に 不登校という長いトンネルから抜け出しつつある息子。
頼もしく感じるとともに
息子が自分の中学時代の思い出を大切にする気持ちも
しっかり受け入れてやりたいなぁ と思います。
とりあえず 今日は いけるかどうか 静かに見守りたいと思います。
今まさにそんな時期なのですよね。
息子も私も学校から遠ざかった生活をしていて
なかなか自分たちの生活の中では
そんなことすら気づかない状態だったりしました。
息子の通う学校は卒業が形式的なもので
だいぶ通常より遅めの卒業式なので
余計に感覚がずれているのかもしれません。
私自身は 我が子の卒業とか 卒業式とか もう私にとって縁がないことと割り切って
期待も感傷もなく そのキーワードには何も反応しないという境地にまで達して
過ごしていました。
それでいいのだ と思っています。
見つめる未来はちゃんとある。
今 とても穏やかな気持ちでそう思っています。
ただ、息子は違うのだ と最近気づきました。
前回の記事で息子の卒業文集の原稿への取り組みを書きました。
結局 あの時は しばらく机の前で必死に何か書こうとして
やがて挫折し 原稿を投げ出していました。
私ははたから見守っていましたが
かける言葉は見つかりませんでした。
きっと息子の中で思うところはたくさんあったのでしょうが、、、、、、
そして今朝 息子は起きるなり
今日学校行ってくる
と言いました。
言うまでもなく 今日は日曜日。
だから良いのでしょう。
文集の原稿をボックスに入れに行く とのことでした。
まだ 息子 原稿を書くこと 諦めていなかったのです。
ただ やはり何を書いていいのかわからないようで
珍しく 私に 何を書いたらいいと思う? と聞いてきました。
なので私は これからのこととかを書いてもいいんじゃない とだけ言いました。
今部屋に籠って何やらやっています。
文章が書けるかどうかはわかりません。
私としては急かすつもりも 無理に書かせるつもりもないですが
息子が 文集を通じて 自分の あの学校にいたという証しを残そうとしているんだな
ということを強く感じています。
毎晩の一緒のジョギング(帰りはウィーキング)の中で
息子が呟くようにして自分の気持ちを語るのを聞きながら
親としては意外なほど彼が今の学校に
いろんな思いを抱えていることに気が付きました。
大人になった時に 誰か自分を思い出してくれるのだろうか とか
同窓会があったら自分は呼ばれるのか とか。
やはり 本人と 親とでは思いが違うのだ と改めて思います。
私があっさりと(でも 相当な葛藤はありましたが)捨て去った思いを
息子はやはりまだ じくじく と心の中で持ち続けている部分はあるようです。
未練 とか 後悔とか ではなくて
自分が存在した証し
沢山空白のある中学時代でもたしかにあった思い出
そんなものを大切にしようとしているのだな ということを感じます。
先日は学校の先生と息子が電話で直接会話し
セレモニーに参加するのは無理だけど
卒業式の後のお楽しみ会のようなものに
もしできれば参加したい と伝えていて
その落ち着いた話しぶりや前向きな姿勢に
母親としては 又驚かされました。
確実に 不登校という長いトンネルから抜け出しつつある息子。
頼もしく感じるとともに
息子が自分の中学時代の思い出を大切にする気持ちも
しっかり受け入れてやりたいなぁ と思います。
とりあえず 今日は いけるかどうか 静かに見守りたいと思います。