最近よく寄らせていただく同じ不登校生のお母さんのブログに
コメント入れさせていただいた時に
これは自分のブログにも書き残しておきたいなぁ 
と思ったことがありました。

それは 息子の不登校を巡る夫との対話について です。


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私は息子が不登校になってから
その状態を受け入れるまでに相当な時間を要しました。

わが子が不登校になった保護者の方 きっと皆さん
そうだと思います。

学校いけなくなったの?
しかたないわね。

なんてあっさり認める方なんて 
あまりいらっしゃらないでしょう。


保護者の集まりの行けば その中で
息子を不登校にしてしまった自分が一番劣っているように感じてしまったり
息子の将来を悲観して苦しくなったり。

それである日私は  夫に

自分の人生はもう終わったも同然だ。
たった一人の息子がこんなことになって
将来幸せにもなれそうにない。
私の子育ては失敗だった。
もう 何もかも嫌だ。 


と泣きつきました。
そんな昔の事ではありません。
つい数か月前の事です。

そしたら 夫は そのとき

息子がこのままひきこもりだって
自分たちは幸せになれる 
と言ったのです。

第一息子が今不幸せかどうか ということもわからない。
とりあえず今の状況は彼が自分で選択したことだ 
と。
自分自身の問題なのか 学校の環境の問題なのか 原因はわからないけれど
とにかく 息子自身が 学校に行くことよりは家にいたい と思ったんだ。
好きなようにやっているんだし この先の彼の人生は彼のもの、
親がしてやれることには限界があると。
結局は本人が動かなければどうしようもない。


突き放しているようだけど結局は人生なんて
自分が切り開いていくしかないんだよ。


だから 親としては
たとえひきこもりでも ひきこもりじゃなくても
息子のことを大切にできる限りの愛情をかけて
これまでどおり育てていけばいいし 
そのくらいしか我々ができることはない と。 

我々が死んだあと もしまだ息子がひきこもりのままだったら 
セーフティーネットが どうにかしてくれるだろう。
今の状況ではまだ 整備されていないけれど
我々が死ぬ頃にはもっとましになっているはずだ 
と。

そして 息子の不登校とは関係なく 
自分たちは自分たちの人生を幸せに生きていけるはずだ 


と言いました。

これははじめ 意味不明というか
男親だからそんな冷たいこと言えるんだと私は憤慨し反論しました。

息子がこんな状態で幸せになんかなれるはずない と。

そしたら 夫は 私が考える息子の幸せってなんだ と聞きました。
だから私は 

世の中に出て自分の力で生きていけるようになること と言いました。

夫はそれを聞いて

世の中に出て独立したら もう 手元から離れていって
今みたいにもう お母さん お母さん っていうこともなくなるよ。
家にも寄り付かなくなるよ。
1年に一回も会えないかもしれない。


それに比べて もしひきこもりのまま だったらって考えてごらん。
このまま3人で 仲良く生きて
一緒に暮らして   旅行にいったっていい。
息子は暴力振るうわけでもなし 家でおとなしくパソコンみて
過ごしているだけじゃないか。
相変わらずかわいいわが子じゃないか。

と答えました。なので今度は私が

でも 働かなきゃ お金がはいらない。 と言うと

もし息子が働いていたら給料はもらえるかもしれない。
だけど自分たちはその給料をあてにしようなんて思ってる?
あの子の稼いだお金はあの子のもの。
つまり 息子が働こうが働くまいが 
自分たちの懐は変わらないんだよ
 と夫。

でも 食費とか生活費がかかるじゃない と私が言えば

息子は小食で2人も3人もあまり変わらないだろう。
将来息子がもっと食べるようになったとしても
そのころには自分たちの食が細くなっているはずだ。
他のもの含めたって そうそう2人も3人もかわらないはずだ。


と又 夫。

でもこんな状態じゃ 今までママ友だった人にも苦しくて会えない。

と言えば、

会いたくないなら会わなければいい。
僕がいるじゃない。
話したいことがあれば 僕に言えばいい。
無理して 自分が苦しいところに行くことはない。
 と夫。


そんなふうにして一つ一つ 
私が抱えている息子の状態に対する不安 不満 を聞きだしては
夫はそれを論破していき 最後にはいつのまにか 

息子が 不登校でも  引きこもりでも
自分たちには幸せになれる方法はある。


という結論に達していました。

もちろん 口ではそういう結論に達しても
すとんと胸にその言葉がすぐにおさまったわけではありません。

ただ そういうふうに 発想を変えることができるんだ というのは
この夫との問答の中で 私自身学びました。

そして そのことは 不幸にがんじがらめになりそうだった
私の心を解放してくれたのです。

大げさに言えば 生き方 が変わるような会話でした。


こんな乱暴な議論 
あかの他人が言ったとしたら
もっと憤慨して聴く耳持たなかったでしょうし
第一 面と向かってこんなことを言う人なんて
そうそういないでしょう。
 
息子の親であり
人生のパートナーである夫だからこそ 
出来た問答だったのだと思います。



夫は 昔 食えない哲学者になりたい
と言って自分の両親を泣かせた変わり者ですが
そのことが この問答の際には 
とても大きな力を発揮したと感じています。

既存の価値観に余りとらわれない発想 
又はそれを問い返して真理を導き出そうとする力。

飯のタネにならない哲学なんてやってどうするんだ と
かつて彼の父親は嘆いたそうですが
しっかり人生に役立っているんだ  とこのとき再認識しました。

 
この夫と交わしたやりとりは
多分 いつまでも私の心に残ると思います。