今日は息子の健康診断の付き添いでした。

指定された病院は、このあたりでは観光名所のなかにあり
帰りには 渋る息子を無理やり連れて プチ観光してしまいました。

私一人ではたまに行くこともあるこの場所に
一度息子も連れてきたいなぁ と思っていたのだけど
まぁ こんな状態では
まずそんなことは無理だろうとあきらめていたのに
思いがけず夢が実現し
そんなわけで今日は ちょっと(かなり)うれしい一日となりました。

実は今日は健康診断の前にもやらなきゃいけないこと満載で
のんびり屋で いつも鷹揚に構えている私には珍しく
重責を感じて 胃や腸がきりきりと痛み  
スケジュールの最後にそんなおまけがあるとは全然想像しておらず
せっかくの記念すべき久々の息子との観光だったのに
カメラをもっていきそびれてしまい 残念でした。
もっとも 息子は 筋金入りの写真嫌いだから 
多分 思うように写真なんか撮らせなかっただろうとは思うんですけどね。

ちょっと前までなら不機嫌に黙りこくってついてくるのがせいいっぱいだった息子が
饒舌に話しかけてくるのが親としては又楽しく
彼の変化が印象的だったのですが
そこで息子がつぶやいたひと言には
かなりびっくりしてしまいました。

そのつぶやきとは

俺は 小さいころから 
お母さんがあんまりあれこれ強制せずに
好きなことをやらせてくれてよかった。 

というものなんですけど
なんだか 私がずっと抱いてきた罪悪感が
すっと消えてしまうような一言でした。

というのも、私は息子が保育園から小学校低学年のころにかけて
不器用な彼の行く末を心配し
ピアノ、アートクラブ、水泳、太鼓 と結構な数の習い事をさせていて
ですが結局は息子の猛烈に激しい抵抗にあって根負けし
どれもこれも 辞めざるを得なくなり
結果 ものになったものはひとつとしてなく
ただ ただ 嫌がる息子を無理やりおけいこごとに向かわせた という
苦い記憶が残るだけ となっていたからなのです。

辞めた当初はそんな息子に腹立たしさすら感じていたのですが
やがて 苦手なことを無理やりさせて 褒めてやることもなかったという原体験が 
すくなからず 息子の不登校の原因にもなっていたのではないかと思うようになり
そのことを かなり気に病みずっと反省してきました。

おもいがけず 息子にとっては いやいやお稽古ごとに通っていたことよりも
自分の意志が尊重されて いやなことは全部辞め
好きに遊ばせてくれた という記憶の方が残っていた ということに
私は驚きを禁じえませんでした。

そして そんな息子の言葉にとても救われました。

こんなことを 今日 素敵な場所を観光しながら
息子と話す機会が持てたことに心から感謝したい と思います。

本当に 一つの事実にもたくさんの真実 捉え方があるのですね。