「セクシー田中さん」について知ってる事は何もない。作品は1度作者の手を離れると、もうそれは自分の子供と同じで一人歩きしていくもんだと言う思いがあったので、何も言う事はないと思ったから。でも今回の事はそういう一般的な問題では無い様だ。里中万智子さんの記事を読んでもただならぬ事がこの若きクリエイターに何らかの圧力か何か大変なストレスが降りかかったような印象受けたガーン優れたクリエイターにしても、よっぽどの鉄面皮でもない限り、おおきな企業に対抗することは難しいだろう。その中で、失われた命と言うのなら、関係者は、その原因究明に真摯に取り組むべきであると思う。なにしろ1人の人間の命が失われたのだから。そして、これから生まれてくるクリエイターの為にも。


同じく命を絶たれた漫画家に、おじゃる丸の作者さんの事を思い出した。おじゃる丸も最初はごく短い放送の予定だったが爆発的人気が出てしまった為に、無駄に引き伸ばされ、最初の目的の突貫工事で作りが安っぽいわりに中身は充実した世界観だったのが、引き伸ばしのために、キャラが暴走しだし、後付け設定も甚だしくガーン私らが好きだったおじゃる丸は第二期まで。それかプラス第三期の最終回の「まちかど」まで、それからは単なるかわいいキャラクターの出てくる当たり障りのないアニメになってしまったえーん


うちの旦那などは以前は「傑作選」のビデオまで編集して作っていたほど魅了されていたおじゃる丸。赤ちゃんぴえん私ら視聴者がこのような無念さを感じていたてのだから、いわんや作者をや。


今は見る影もないおじゃる丸ショボーン今のおじゃる丸を見てる人にいいたい。

おじゃる丸はこんなものじゃあないんですよ!と。 

たとえば、

児童文学の傑作の中に「ネズミ女房」と言う作品がある。ネズミ女房は、そのうすぐらい穴の中に、夫婦と子供たちと一緒に暮らしているのだが、そこに鳩が人間に捕まえられて、ゲージの中に入れられている。女房は気の毒に思って、その鳩に話しかけると、鳩は、穴の外の世界をネズミ女房に語る。女房は、穴の外に憧れるが、ねずみ旦那が怒りをむき出しにし…とまぁ、まるでフェリーニの「道」にも通じるような話だが……その小説のエッセンスを一人暮らしの老女マリーさんと、マリーさん宅のペットの明美と言うオウムの物語に落とし込んでいた。私はこの話の中に、はっきりとネズミ女房を見た!しかも、このおじゃる丸の中のネズミ女房(明美)はその世界(ジレンマ)を飛び出して飼い主への無償の愛というところまで昇華してしまっている!それを美しいと思うか共依存と思うか、それは人それぞれなのだが。


このおじゃる丸がOLの間で爆発的な人気を誇ったのは、ただかわいいと言うだけではないと私は思っている。他にも児童文学へのオマージュのような作品が何冊があるが、それをしてみるのも一興だ。

なんだか話がどんどんずれておじゃる丸の話になってしまった…


そんな優れた作品を書いていたおじゃる丸の作者も、若くして命を断ってしまった。


もう私たちは、作者がモデルと思われる、売れない漫画家のウスイサチヨを見て、無邪気に笑うことができないのだ。



若き才能、育てていこう!見守っていこう!

作者の意向は最大限に尊重するべきだと思う。

今は昭和ではない。だが、恫喝したり、恐怖政治で人を操ろうとしたりする人がまだいるのだろう…人間である以上、そういう事は続くのかもしれない。声の大きな人の意見が通るのかもしれない...でも、この失われた命に応えるためにも、できるだけ対話の間口を広げる努力をする覚悟と言うものをものづくりをする人たちには持っていて欲しいと思う。それがどれだけ根気のいる作業であろうと。それが人を尊重すると言うことの基本なのだから…