以前とはうって変わって、自然に囲まれて静かに暮らしています。
朝早く鳥の鳴き声が聴こえ、地域ネコが路地裏に遊びます。
ここでは人は夜になれば眠るのです。
ゴミ出しのルールを学び、見慣れない選挙人や、彼らの麻布とはトーンの違う政治的信念に耳を傾けるうちに、少しずつ、私はここが好きだ、と感じはじめている自分に気づくのでした。
このGWは、母親と『バーン・アフター・リーディング』を観に行った以外はずっと一人で行動している。
『バーン・・・』は前半がもたついてしまい残念だったけど、後半はテンポもよくなり面白かった。万人に「面白いよー」と勧められる映画ではないけど。
今日みた『スラムドッグ』は本当に良い映画でした。こう断言できる映画は久しぶりです。私は一瞬も飽きなかったし、観ている間中ずーっと鳥肌が立ってた。
これは闘志が湧いてくる物語です。過酷な運命。貧困と暴力と人間不信。生き延びるために必死でサバイバルする主人公たちの、弾けるほどの生命力に身が引き締まる思いがする。主人公たちの置かれた状況を、いまの自分の状況に重ねずにはいられませんでした。サバイバルなのはインドのスラム街だけではないのですよ。
そして私が何より感動したのは、主人公がそういう過酷な物語を通してずっと、なんというか信念のような高貴な何かを失わないこと。たとえばこういう会話があった。犯罪者の親玉に囲われて奴隷のように暮らすラティカにジャマールが一緒に逃げようと言うと、
ラティカ「無理よ。どうやって生きるの?」
ジャマール「愛がある」
この台詞を現実味のない、荒唐無稽な青臭い発言だと捉える人もいると思う。
でも私はそうは思わない。本当に何も生き延びる手立てが無いとき、愛だけが生きる手立てだという瞬間が確かにあるものだと思うから。だからこれは私にとってはもの凄くリアルな台詞だし、臆せず主人公にこう言わせた脚本家は勇気があると思った。こういう言葉って馬鹿にされたり誤解されたりしがちだから。
明日も瞳に智慧と、心に愛がありますように。アーメン。
今年の桜もそろそろ散り行く時期となりました(東京では)。
今年は学校の近くの桜の名所で3回はお花見したし、六義園の夜桜ライトアップも観に行けた。
桜餅も桜ご飯も食べたし、桜茶も飲んだし。靖国の桜は観にいけなかったのが残念だけど、だいたいやりつくした感じかな。
今夜は校舎の脇の桜が舞い散って、淡いピンクの雪のように降り積もっていた。美しい。散った姿も美しいなんて。
この時期、季節の変わり目は、私はいつも体調を崩しがちになるので、楽な季節ではない。
今回もやっぱりちょっと体調を崩した。薬は飲んでるのになあ。
この体調不良と、仕事、その二つが私の勉強時間を大きく蝕んで、昨年度は散々だった。
でも敗因はそれだけじゃないと思う。自分が置かれている状況、つまり高額な学費を何とか払って大学院で勉強できるという事実の貴重さを忘れ、知らず知らずのうちに「当然だ」と思ってしまっていたこと。
勉強すること、講義を受けることを義務や苦役のように感じてしまっていたことも敗因なのだ。
勉強を追っていたのが、いつの間にか勉強に追われてしまっていた。
人間の環境への順応ってすごい。プレスクーリングでは目頭が熱くなるくらい、勉強できることが嬉しかったのになあ。
いま、すごくきつくて辛い立場に置かれている。
人生の不公平さに砂を噛む思い。
ふわふわの子犬が二匹、 目の前を通り過ぎ、その可愛さではっと我にかえるようなことが幾度となくあった。
あー動物ってほんとネ申だなぁ。
離れ離れになってしまったオカメのポピタンに会いたいなあ。