この前の日曜日、やっと物販に2時間並んで買ったノイミーアニバーサリーブックを読めました。

 

思ってた通り読み応えのある内容でしたね、自分がノイミーを知る前の事や知ってからの事、これからの事など。

ダイヤモンドの輝きはどれだけ増すのか、楽しみになる一冊でした。

 

そのノイミーはアルバムの発売、そしてツアーを控えてますね、ツアーは前半戦のFC先行が受付中です。

 

昨年のツアー、凄く良いツアーだったのですが大宮の昼と武道館の初日しか行けなかったんですよ。

武道館は特別な演出もありましたからツアーとしての公演は大宮だけ、もう1、2公演観たかったなと言うのが正直な感想でした。

 

それを踏まえて今年のツアーは東京、松戸、そして横アリと応募する予定です。

ほんとは菜々風さんの地元の鹿児島も行きたいのですが‥

思い切れない弱い自分が情け無いですよ、全くダメな自分です。

関東から出れない出不精、直して行きたいですけどね、他の地域から東京に来られる方々から白い目で見られそうですよね、これ。

 

 

さて、そのツアーでセットリストの中心となっていくと想定されるのが今月20日に発売されるノイミー1stアルバムの曲達、まだ公開されてない曲も楽しみです。

何しろ先行で公開されたリード曲がいい曲でしたからね。

 

 

かっこよかったり、かわいかったり、たのしかったり、色んな表情を見せてくれるノイミー、この「青春」もまたノイミーが見せてくれる表情のひとつですよね。

 

いやそれにしても切ないです、この歌。

爽やかなメロディに乗る未練を捨てきれない恋心。

ノイミーの失恋ソングと言えば「まほろばアスタリスク」の印象が強いですが、まほろばは好きな人に好きな人がいて、それでも好きだという力強さがあるのに対してこちらラスラスはもう忘れられない、好きでいないようにしたい自分と好きという気持ちを捨てきれない自分が行ったり来たりしてて。

 

どうなんでしょう、まほろばの様な強い気持ちを持って人を好きになって「あの子を好きな君が好きだ」なんて言えればいいんでしょうけど、実際はラスラスの様に捨てきれない、煮え切らない想いになってしまう事の方が多いんじゃないでしょうか。

割り切れる想いばっかりじゃないですからね、未練も後悔も重たいのわかってても背負って日々を過ごしてしまうんですよ。

 

 

失恋ソングの歌詞を紐解く時、私が気にしているのがどんな言葉で主人公と好きな人との距離感を表わすのか。

例えば菜々風さんのソロ曲「空白の花」ではこんな歌詞で表されています。

 

距離は近くなる事もなく 背中も見えない恋でした

 

文字通り距離が近くないのだとわかりますよね、この恋が。

ガツンと線引きをするようにわかり易く距離感を表現してるなって思います。

 

では「まほろばアスタリスク」はどうか。

幾つかある距離感を示す歌詞の内、自分で一番ここが距離間感じられるなっていうのはここですかね。

 

明日君と話す事をグルグル考える1人の夜

 

話そうと思えば話せる間柄なのでしょうね、ただ話題に困らないというほど近い間柄ではなく好きな気持ちが出ないようにしつつ会話するのは難しい関係なのかなと。

クラスメイトだけど友達ではないって感じで。

 

では「ラストチャンス、ラストダンス」ではどうか。

私が選んだ歌詞はここです。


貸してる本だってもういらないよ君にあげる

たまに思い出してね僕が好きだったセリフ


本の貸し借りが出来るくらいの中の良さなのでしょう、だからこそその近さがあるからこそ何処かで違う選択をしていれば隣にいるのが自分であったのかも知れないのに、と考えているのでしょう。


そして思い出して欲しいのが「僕」でなく「僕が好きだったセリフ」であると言う事。

二人で本の中のセリフについて喋った、その二人で過ごした時間を覚えてて欲しいと言うね、きっと主人公にとって特別な時間だったのでしょう。

その時間が相手にとっても心に深く刻まれた時間であってくれたらと言う願いが伝わってくる歌詞です。

以前は近かったのに今は遠くなってしまった二人の距離。



以上、ちょっと歌詞の中にある距離感について考えてみました。

こうして歌詞について考察すると楽曲に立体感がでて好きなのですよ、ひとつの楽しみなんです。

指原さんの紡ぐ言葉を受取り情景を浮かべる、ほんとアルバムの残りの新曲も楽しみです。


あっそう言えば、二人の距離感を示す歌詞が最後に来て背筋に寒気が走った曲を思いだしました。


話したことない君のため

チョコレートメランコリー


人と人の距離感って大事ですね。