NHK総合『チコちゃんに叱られる!』。 世間で話題だが私は観ていない。

 

民放出身のプロデューサーやディレクターを呼んできて、民放で30年前にある

 

 

ような番組作りをNHKでしたので話題を呼んでいるだけで、自由な雰囲気の他、

 

 

これといった魅力を感じないから観ていない。

 

 

民放出身のプロデューサーやディレクターが企画を作ると性やジェンダー、いじめ

 

 

について意識が往かなくなるのか「ああ、やっぱりね。」炎上してしまったらしい。

 

 

それは、岡村隆史氏の『嫁探し』企画だという。

 

 

チコちゃん、「岡村の嫁探し」企画への大きな違和感。 未婚男性は笑ってもいいの?

BUSINESS INSIDER japan  3/5(木) 8:10配信

 

 

視聴者の知的好奇心をほどよく満たしつつ、ほどよく笑える「チコちゃんに叱られる!」は、

ジェンダーやフェミニズムについて関心の高いミレニアル世代である筆者が、安心して

見ていられる番組の一つだった。
だからこそ、画面に大きく「嫁探し」という前近代的な言葉が現れたときは目を疑った。

番組を見続けていると、冒頭のような演出に非常に不愉快な気持ちになった。そこには、

地方の女性を勝手に嫁候補とみなす男性中心的な目線と、岡村さんとの結婚を大げさ

に拒否することでの「男性に対するセクハラ」の構図が透けて見えた。

 

 

この「男性に対するセクハラ」の構図、芸人を通してだとなかなか分かりづらいと思う。

 

 

「“この女”と結婚してくれませんか?」── 。もし、今回の企画が男女逆であれば、この

言葉がいかに侮辱的なものか、ほとんどの人が気づくはずだ。

“この女”が”この男”になり、対象が岡村さんであれば、その発言は誰も傷つけないもの

に変わるのか?

 

 

ここで気付くのは、相手の性別は関係がないっていうことです。

 

 

民放のお笑い番組ではかつて、わざと肌の色を黒く塗ったメイクをする「黒塗り問題」や、

ゲイ男性を揶揄するキャラクター「保毛尾田保毛男」が強く批判された。

今回の「嫁探し」は、これら一連の問題の構造と大して変わらないのではないか。

その演出の裏には「中年独身男性は、嫁を探すべきだ」「結婚できない男性は、そのこと

を理由にして笑っても良い」というステレオタイプな考えがあり、その“偏見”と言っていい

考えこそが「生きづらさ」を助長し、価値観の多様性を阻むものだからだ。

 

 

 

真っ当な考え方だと思う。生き方に正解なんかどこにも無いのは真理だと思うので。

 

 

 

もちろん、人をいじって笑いを取ること全てをやめるべきとは思わない。見る人を傷つける

「嘲笑」と「いじり」との違いは、相手への思いやりの眼差しがあるかどうか、そしてそれを

見た人の中で傷つく人がいるかどうかだ。
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もし番組側が「岡村さんは芸人だから、いくら傷つけても構わない」と考えたのなら、思いやり

の眼差しが完全に抜け落ちてしまっていたのではないか。

もう一つ、今回「嫁探し」がより大きな批判になった背景には、岡村さんをバカにするテレビ上

の演出に一般人を巻き込んだことにあると思う。

 

 

 

偏見→思いやりの欠如→嘲笑 へと移っていく過程をみてるのかな?

 

記事を書いた人が「岡村隆史氏を傷つけている」と思うぐらいだから余程の事だろう。

 

 

 

そのことによって、(岡村さんと別の芸人という)お笑い芸人同士の信頼関係が見えるから

こそ笑えたはずのいじりの域を超えてしまった。

岡村さんの「アリ・ナシ」を判定する当事者を一般人としたことで、よりリアリティのあるいじめ

の構図として、視聴者に届いてしまったのではないだろうか。

 

 

 

そう思った背景が2つ。どちらもなかなか気づきにくいものだが、よく気付いたなぁ。

 

 

 

しかし、「嫁探し」の設定には違和感が残ったままだ。

そもそも「嫁」という「男性に嫁ぐ」ことをイメージさせる呼称を嫌う女性は多い。にもかかわら

ず、全国の女性を勝手に「嫁候補」とするこの企画。番組制作陣に女性はいるのだろうかと

疑問に思ってしまう。

 

 

 

それと同時に「ムコ探し」って言葉もこの日本から無くして頂戴。