ありのままの私
→全て(ネガティブもポジティブも)の私
ありたい私
→心の声に従っている私
ありのままの私+ありたい私が
人生をつくる
人生はどう生きるか≒どうありたいか
で決まる
前半では主にありのままの自分
について書きましたが
後半、まずは
ありたい自分から(^^;)
お金持ちになりたい
認められたい
優秀でありたい
それがありたい自分なのに
全然叶わないじゃん!
とする(^^;)
それは、ココロの声と相違があるから
もしかすると心の声は
誰からも、何からも縛られず
自分を貫き、自由に生きたい!
と言っているのに
その声を無視して
人から、社会からの評価で
生きて
お金持ちや認められる
優秀な姿を求めて
誰かや、何かの為の
ありたい自分になっていて
ココロの声が望む
ありたい自分ではない
から
だと思います
ありたい自分は
ココロの声に従っている自分
ココロの声は自分が心底求めている事
ココロの声?
ってピンとこないなら
まずは
お金や、評価や、ルールとか
世間体とか
なーんにも気にせず
生きたとして
こんな風に生きられたら
幸せだなぁ
と思う事から
想像してみる
ありたい自分=ココロの声=自分の欲求
自分のココロからの欲求は
ありのままの自分を知らぬままだと
叶わない
心理学で、自己受容とは
自分の全ての要素にジャッジをせず
ただそういう要素が自分にはあるんだ
と受け容れる事
そして人間は嫌な事をダメな事と
否定し続け、自己受容しないかぎり
その嫌な事は変わらない
と考える
なぜなら
その嫌な事は
かつて、何かの理由で
自分を守るためには
そうするしか仕方なかったから
ちゃんと理由があるのに
それを否定されると
人間は自分を、拒絶しはじめて
嫌な事は変わらない
私は被害者意識が
強くありました
それは、母に否定し続けられ
母の強いコントロール下に置かれていた
自分を
なんて可愛そうなの
私、可哀想
可哀想でしょ?
だれか分かってくれるよね?
おかぁさん分かってよ!
そう思う事で
自分を守っていた
なのに長きにわたり
そんな自分が、嫌で嫌で
苦しくて苦しくて
否定し続けた
そしたら
状況や環境がどんどん悪くなった
小さな子供の私は
可哀想だったんだ
だって誰も私を認めてくれなかったから
だから、被害者意識を
持っていなければ
私は、生きてこれなかったんだ!
でも長年、私はこれを受け入れず
拒絶し続けた
今もまだ
ちょっと拒絶する時がある(・・;)
ありのままの自分を否定すると
ありたい自分にはなれない
そしていつまでたっても
幸せを感られない
それは
自分らしさを感じられないから
自分らしく生きられてないと
自分自身が悲しんでいるから
プラスもマイナスも含めた
ありのままの自分と
ココロの声に従った
ありたい自分
が重なっている、一致している事に
人は自分らしさを感じる
そして人は
「自分らしく生きている!」
と感じる時
幸福感を得る
つまり、ありのままの自分と
ありたい自分が
一致している事が多いほど
人は幸福感が、増し
少ないほど、不安が増す
という事
自分らしさをどんどんと増やして
喜びの人生を生きる
私もまだまだ学習中(^^)
でも、只今、変化中(^^)
上手に撮れなかったのですが(・・;)
高級食パンをお土産にいただきました(^^)
フワフワモチモチで何にも付けなくて
美味しい(^^)