3月の震災の時に壊れてしまったままだった信号機が復活しているのを今日初めて見て凄く感動してしまいました…!゜。(゜ノД`゜)。゜

何十年と同じ場所にあった信号機が突然なくなってから数カ月が経ちましたが、その間、某番組で「被災地の信号機事情」という報道を流した次の日から突然警視庁様が各信号機のあった場所に立ち誘導をして下さっていたのです。(゜ω゜)



いくら被災地とは言え、あんな土埃が凄くて海のすぐ側なんて、10か月経った今でも空気は臭いし、何かあった時には怖かったと思います…。
逃げる場所…と言っても、平坦な道が続く場所での誘導だったので、もしもあの3月の時の様な津波が来たら逃げる場所はない。
地盤沈下のせいで冠水も至る所が起きているから、多分今では1mの津波でも膝の近く位まで来るかもしれません…。(震災前は足首と膝の中間位…だったと思います。)


本当に警察の方や自衛隊、消防の方々には色々とお世話になりっぱなしですな…(´・ω・`)


職業的にやはりお堅いイメージのあった方々だったのですが、被災地にいらした方々は何かと笑わせたりしてくれて、「何て楽しい人達なんだろう!」って思ってしまった位です。

例えば、九州から遺体捜索の為にいらした警察様は「雪国の人凄いですね!!実は自分、3月11日のすぐ後に(地元)に派遣されたのですが、その時には雪が凄い降っていたじゃないですか!九州は雪が降って、まして道路が凍るなんて事はあまりなかったのですが、スタッドレスタイヤをはいてても怖くてトロトロ走ってたらビュンビュン追い抜かれましてwwwwwwww“お~い!ちょっと待ってくれ~!!!”って感じでしたwwwwwwww」なんて砕けた世間話をして下さり、本当に和みました。



我が家は市の対応がとにかく遅かったですし、色々な事情から自分達の手で瓦礫を片付けようとせっせと毎日片付け方をしていたのですが、通る警察様は皆大きな声で挨拶して下さりますし、消防の方々も自衛隊の方々も本当は疲れていらっしゃっただろうに、我々が居ると「何か手伝えることはありませんか!?」と必ず聞いて下さったり…。



なんかね、その時には被災地の為に頑張って下さる皆様にお茶の一つも出せなかったのが本当に悔しいです。
炎天下の中、我々被災者は確かに家とか無くて避難所に居た方が多いですが、自分達の足で歩きまわって死体を捜索したり…なんて事はしないじゃないですか…。

そんな中で精神的にもきっとボロボロだったと思うのに、更に気にかけて下さるなんて本当に優しくて、お礼をしたくても「ありがとうございます」って言葉しかお礼出来るものがない。



家さえあれば受け取ってくれないかもしれないけれども、冷蔵庫でキンキンに冷やした飲み物とかを「どうぞ」って渡せるのにな…ってやっぱり考えちゃいます。(´・∀・`)ヘヘッ




実は家のあった場所は今でも被災地を取り上げる番組等で必ず映る位置にあったのですがね…、やっぱりあの震災の時って色々と見ていない事とかが多くて、そして若干記憶喪失っぽくなっちゃってる所があって、それを補う為にも敢えて見るのですが、そうすると必ず家のあった場所が映るんですよね。

そうすると、やっぱり今までずーっと暮らしていた大好きな我が家が無いという現実があってまたショボーンってなるのですが、でも映像で本当に何回も取りざたされるので随分慣れたんですね!!!(・ω・´*)キリッ



それなのに、数日前にたまたま我が家のあった地区へ行く用事があって、いつも通っていた道を車でブイーンと走っていたら何かむしょうに悲しくなっちゃいまして…。(´;ω;`)


あー、ここにこういうお店があったなー
ここの道を曲がったら家だったなー
何で無いんだろう

そういう感情がフツフツと沸きあがってしまって、そしたら急にめまいと相当気分が沈んでしまって数分間だけ鬱でした\(^o^)/アヒャ



今だって思い出せるんです。
家の玄関があって、そこにはこういう棚があったなー。
飾り物があったなー。
この位歩くと茶の間があって…ここの柱はこういう硬さでこういう材質だったな…。
ここの部分にあった木目はこんな変わった形をしていたな。
廊下はこんな色をしていたなー。


とか全部本当に目の前にまだある様に思いだせるんです。
そりゃね…生まれてからずっと住んでいた家でしたし、それは当たり前の事なんでしょうが…、それでも頭の中では全ての我が家の情報が思い出せる。

それなのに現実としては家なんて形もなくて、草ばかりが生えている。
それも何故か周りのお家を見ても全然草生えてないのに、我が家だけがぼーぼーに生えてるってどういう事!?\(^o^)/



へへ、一年前の今頃はまだ家があったのに、現実って結構寂しい…。



でも、今は震災前の家と同じ位かそれよりも大きな家を絶対に両親にプレゼントするってのが私の目標になっていまする。
いつになるかは分からないけれども、絶対に叶えたい夢の一つです。