さっきドキュメントで
トー横という
場所の特集をやっていた
色んな子供たちが
学校や家庭で
居場所がない子供たちが
そこへやってくると。
それを大人たちが
取り組みとして
その子供達を
救える場所
話を聞いてくれる環境
そういうものが必要なんじゃないか
そんな事をドキュメントで。
取材しながら。
なんかそんな話だったと思うけど
見てて思ったけど
大きなお世話だと思った。
大人の世界を
子供がわからないように
子供の世界も
大人はわからない。
ほっときゃいいんだよ。
なぜそこに集まるか。
家庭に学校に
問題があるから
そこにいるんじゃなくて
そこに行く縁があるから行ってるだけ。
縁がなくなりゃ途端に行かなくなる。
そこで人との出会いも縁
幸せになるのも縁
嫌な思いをするのも縁
犯罪に巻き込まれるのも縁。
全部縁だから。
どんなにそのトー横という場所に
行きたくても
行けない奴は行けない。
それは縁がないから。
そのトー横に。
縁がある奴が行けて
縁がない奴が行けない。
ただそれだけだから
この世は全てそう。
縁があるかないか。
全ての事柄に
それだけ。
じゃあ自分が10代の時に
そのトー横に行ったかというと
運命があれば別だけど
気持ちとしては
行ってないと思う。
さみしいだの
大人はわかってくれないだの
自分の気持ちが
どうしたこうしたっていうのが
くさいと思ってたから。
今でもそう。
気持ちなんていうのは
くさい。
人の気持ちも
自分の気持ちも
何も、
気持ちで飯が食えりゃ
いくらでもそう言ってるよ。
家でほざいてるよ。
そういうお前の気持ちが
俺の気持ちがどうしたこうした
聞いてるようなところじゃなんだよ
世の中は。
舐めた事ぬかすなおんどれ。
という世界だと思って
10代の時も
今も生きている
気持ちを聞いて
もらいたければ
魅力を持つことだ。
俺はそう思う。
魅力がある奴の話は人は聞く
魅力がなければ
何を言おうが人は聞かない。
そしてそれが
自分では作り上げられない
生まれつきの魅力がないと
いけないという事も含めて
世の中はシビア。
魅力がない自分に絶望し
魅力がある者に嫉妬しながら
それを勉強していく
ひねくれるか
勉強として捉えるか
それは自分の
自分自身の生まれつきの性質含め
全て運命だから。