悟りは神秘的な体験として、多くの人々から関心を寄せられています。
悟りの体験をしようと試みますが、ほとんどの人はその境地に達しません。
達したつもりになっている人は沢山います。
私の場合、神の恩寵として自分が悟り体験をしたと思っています。
あの時の至高体験が20年の歳月を経て自分の中で熟成され、今の自分がそれをやっと咀嚼出来るレベルにまで達したって感じです。
悟りは、必要のある人には経験されるし、必要の無い人には経験されません。
自分がどっちなのかは、死ぬまでわかりません。
悟りはあらゆる経験の中で最も刺激的で神秘的で、その後に来る完全なる心の平安は言葉に絶するものがあります。
エゴが完全に無くなるので、物の考え方が以前とは変化し、別人の様になります。
悟った後、その夢見心地の状態で居られる期間は人によって違いますが、数日だと思います。
キリストや仏陀は悟りの状態が死ぬまで続いた稀なケースです。
キリストや仏陀もただの人間です。
頭が悟りでクリアになったのに、普段の日常生活に戻ると直ぐに雑念が脳を支配してしまいます。
コンピューターがOSをアンインストールして身軽になったのに、再びWindowsや表計算ソフトやゲームなどをインストールされて動きが悪くなった様な状態です。
悟っても、最終的には悟る以前の自分に戻ってしまいます。
悟った後にその経験をどう生かすかで、その体験が活かされるか、活かされないかが決まるのでしょう。
自分の人生の問題を解決するために悟りを探求する事。
それが良いか悪いかを判断する資格は私にはありません。
スピリチュアルにどっぷりはまって頭でっかちになってしまっては本末転倒です。
動きの鈍くなったコンピューターの様な状態になっていませんか?