正確に言えば書いた後で思ったことなのですが![]()
結局、誰かに意見を求める、ということは、
少なからず自分の人生を相手に委ねてしまうことになるのかなと
最近少し思います。
アドバイスを求める、ということは、
厳しい言い方をすれば「責任転嫁」の一種かなと![]()
失敗したときに
だって自分で決めたんじゃないし
あの人がああいわなければ失敗しなかった
だから、私が悪いわけじゃない
そう思えることは、自己防衛としてはいいのかもしれません
落ち込みすぎちゃうときは活用していいと思います![]()
でも、自分が自分で判断した結果がこうだった、
と、思えれば、
その方が自分の人生のデータとしてはいいものが残るかなと
個人の感想ですが思ったりもします![]()
また、自分の感覚にズレが生じているなら
少なくとも誰か他人の感覚を修正するよりは楽かなと![]()
車の運転をする方なら分かると思いますが
「車両感覚」ってありますよね![]()
初めて乗る車だったり、レンタカーだったり、買い替えたりすると
思ってたのと違う、という感じにもなったりすると思います。
それは乗りながら自分の中で修正していきますよね。
そんな感じで。
自分の人生を自分の足で歩いて
もし、失敗してしまっても、経験値だと思って。
そもそも「失敗」ってなんでしょう。
そのときは失敗したと思っても、数年後、数十年後に
そのときの失敗が失敗ではなかったことに気づくかもしれません。
過去は過去でしかなく、今は今でしかなく、未来は未来でしかない。
今、失敗したと思っても、
落ち込んでいても、
傷ついていても、
それが、本当に「失敗」だったのか
本当は、誰にもわからないんじゃないかなと思います。
仕事の失敗とか
勉強の失敗とか
人間関係の失敗とか
生きていればいろいろありますが・・・![]()
「今」の失敗にとらわれすぎずに、経験の一つにして
転んでも、
ぱんぱん
と泥をはらって、歩き出せば
きっとその先に、そのとき転ばなければ見えなかった
新しい世界があると思います![]()
転んだ拍子に上から落ちてきたものが当たらずに済んだとか
道を間違ったおかげで事故にあわなくてすんだとか
買いすぎたと思ったら欲しがっている人にあげられたとか
何かしらの意味が、そこにあるように思えるのです![]()