勿論、私が10代、20代の頃は彼の全盛期だし、勿論山下達郎というビックネームも曲も知ってはいました。でも、マス受けしやすく、分かりやすいメロディー展開が、何となく好きになれなかったので、敢えて避けていたフシがありました・・。

 ところが、先日も紹介した某FM番組を聴き続けるうちに、それまで勝手に抱いていたイメージが大分変わってきました。

 まず、曲のイメージと違って、彼は話し方がかなり早口。まずそこで、あぁ~この人はインテリなんだなぁ~という印象を持ちました。それから、彼の生み出す素晴らしい楽曲は、決して偶然や感性の産物などではなく、1960年代前後のアメリカンポップス・ロックに関する豊富な博識ぶりに由来しているのだなぁと感じました。

 彼は無類のレコードコレクターとしても有名ですが、そのストック量も半端でなく、噂では体育館ひとつ分くらいはあるとも聞いたこともあります。そのストックルームはレコードを黴から防ぐ為に一年中除湿機がフル回転で回っているそうです。

 20代、30代の頃はその収入の殆どをレコードにつぎ込んでいたということですから、彼の年収から類推すると相当なものなのでしょうね・・。

 彼は自分自身のヴォーカルを多重録音する1人アカペラという手法を取り入れることはよく知られていて、音と音作りに対して非常に厳格です。流行や時代に流されない(むしろあえて反発する)その製作姿勢から職人とも称されます。レコーディングの際には、基本的にボーカル・バックコーラスはもちろん編曲からギター、コンピューターの打ち込み、シンセサイザー、パーカッションまで全て1人で手がけており、曲によっては全部1人で演奏していることもあるそうです。

 そんなこと知っているよ!という音楽通の方のツッコミが聞こえてきそうな気もしますが、何が言いたいのかというと、それだけ沢山の引き出しがあるから次々と名曲を生み出し続けられるのだなぁ~ということです。


 彼は作曲よりも編曲のほうがずっと大変だと言っていましたが、それは新しく何かを創造する大変さではなく、有り余る引き出しのなから、どれとどれを組み合わせればいいのか、拾捨選択の難しさを指しているのでないかと思います。


 ちょっと意味合いは違うかもしれませんが、ウエアハウスが作り出すアイテムと似ているなって思うんです。


 私から見ると、他のブランドが生み出すアイテムとウエアハウスのそれとでは、仮にシャツひとつ取ってみても、根本的に何かが違う気がするんです。それは同じアメリカの古着やヴィンテージをモチーフにしている点では一緒でも、出来上がったものを比較したときに、抽象的な言い方ですがオーラのレベルがまるで違う。言い換えると、バランス感覚が図抜けていい。


 バランス感覚というのは、例えば生地の質感や色目であったり、パターンや縫製の確かさであったり、それらが互いに調和することで生み出されるプラスαの魅力、付加価値とでも言ったらいいのでしょうか。この感覚はそう簡単に身に付くものではなく、アメリカ物の古着やヴィンテージの本質的な魅力を理解していなければ決して得られるものではありません。


 ヴィンテージのデッドストックや古着を扱うお店のバイヤーがその魅力を理解していることはある意味当然ですが、かと言ってそれを因数分解して再構築できるかどうかは全く別の次元の話だと思います。ウエアハウスが・・というか塩谷さんをはじめとする企画の方々がヴィンテージと言われる年代物の本質的な、あるいは豊富な知識があるからこそ、高次元での組み合わせが可能なのだと思います。


 ウエアハウスから送り出されるアイテムを手に取って見る度に、あぁ~知っているなぁ・・と感じます。


 決して、ヨイショのつもりで書いているつもりはありませんが、よくお客様に他のメーカーは扱うつもりはないのですか?という質問を受けることがあります。正直、他のメーカーやブランドでグッとくるものがないだけで、ときめくような物との出会いがあれば、いつでも扱いたいと考えています。


 山達さんもウエアさんもそうですが、ある程度コアなマニアも納得させながら、マーケットとして大きなマスを巻き込んでいくことが実は一番難しいことで、それをレベルを落とさずに両立させていることは凄いことだと思います。


 話の流れで、たまたま山下達郎を引き合いに出しましたが、私自身は特に彼のファンという訳ではなく、どちらかといえば昔から大瀧詠一のほうが好きです・・(笑)。