仏教を味わう。 -9ページ目

仏教を味わう。

仏教を聞き学ぶものです。
見方によって世界は変わる。
学んだこと感じたことをご紹介。
「jun_nagai_」on twitter.

 
新潟県上越市柿崎区柿崎にあります、
 
川越山 浄善寺(かわごえさん じょうぜんじ)の
 
本堂の写真集です。
 
現本堂は大正から昭和にかけて作られ、
令和元年で建立91年を迎えます。
 
江戸時代の様子
 
十間
 
十一間
 
何度も火災にあいました。
 
海が近いので風にあおられ
大火になる事が多かったのです。
(ドローンによる柿崎空撮)
 
浄善寺 第23代住職 順宗(じゅんそう)
左から三番目。
明治二十五年生まれ。
 
テニスラケットを持つ人。
 
父、22代、順周、文久三年生まれ。
母、カツノ、慶應元年生まれ、夷浜浄泉寺さまより。
順宗、明治二十五年生まれ。
妻、喜久代、本郷西勝寺さまより。
弟、大周、明治二十七年生まれ、安塚杉本医院さまへ。
妹、ムツ、大周と双子、三歳で往生。
弟、大心、明治三十年生まれ、竹原浄念寺さまへ。
 
住まいが焼けてしまい、
蔵で生活したそうです。
 
大正時代に入り、
 
二度と燃えない本堂を
建立したいと思い立ち、
 
役員皆様と力を合わせ、
全国を回って資金を募り本堂を建立。
 
インドパゴダ様式を取り入れた本堂。
 
同時期に
本願寺神戸別院本堂と
築地本願寺本堂の建立が
計画されています。
 
こういった様式になったのは、
 
本願寺第22世のご門主 大谷光瑞さまが
大谷探検隊としてアジア各国に入り
交流を深められた結果、
 
日本にアジアの文化が
あらためて入ってきたことによります。
 
ちょうどこの頃に、
本願寺の宗会議員に順宗がついており
世界の最新の情報を得やすい立場にいたようです。
 
それで、
柿崎という田舎町にも
このような立派な大本堂が建立されるにいたります。
 
ただ、
資金集めには困ったようで
苦労して苦労してこの本堂を建立したそうです。
 
 
大正十五年より工事をはじめ
完成したのは昭和三年。
 
施工は能生町の中村千代吉さま。
 
六萬参千五百五拾円也。
 
完成した本堂を見て
当時の皆様は大いに驚き喜んだそうです。
 
ところが、
不景気が続いたり戦争が起きたり。
 
世はなかなか安定しません。
 
第二次世界大戦の時には、
慶長時代からの大鐘や大きな香炉などを
供出させられてしまいました。
 
長い間、
世の様子を見守ってくれた本堂。
 
令和元年で建立から91年をお迎えます。
 
昭和期は、
柿崎保育園/浄善寺保育園(昭和17年から昭和41年)、
そろばん塾、
お針のお稽古、
踊りのお稽古、
映画鑑賞、
相撲興行、
習字教室、
勉強会、
結婚式、
各お祝いの仏事、
葬儀、
法事などなど多くのご縁がありました。
 
ご本山本願寺の歴代ご門主様もお越し下さいました。
 
 
 
堂内。二尊の出内陣形式の内陣。
 
 
 
本堂一階。
本堂一階の講師部屋。
本堂一階の講師部屋。
 
 
 
現在も、
各行事、
役員会議、
ピアノ教室、
英会話教室、
子ども会などで利用されております。
 
 
 
浄善寺には総代会、常任委員会、
役員総会、婦人会という組織があります。
 
役割をもって各々で会議を開き、
事業を計画して一年を過ごします。
 
この度は、
婦人会の会議が開かれました。
 
昨年度事業報告、決算報告、
次年度事業計画、予算計画。
 
皆さんが発言をし、
 
各行事の出席者や
お手伝い担当者もすぐに決まり、
 
湯呑洗いや後片付けも
あっという間に終了。
 
さすがです。
 
 
 
 
新潟県 上越市 柿崎区では、
周辺の田んぼに水が入りました。
 
米山や尾神岳に積もった雪解け水が
勢いよく大地を潤していきます。
 
 
雪、紅葉、桜、山菜、きのこ、
たけのこ、日本酒、お米、材木、海産物・・・
 
 
自然の力は
四季を通して様々な姿を見せ
世に恵みをもたらします。