「懐かしい年への手紙」流れで、大江健三郎続行です。
「新しい人よ眼ざめよ」新潮文庫、再読。
「懐かしい年…」ではダンテの「神曲」とともに、ウィリアム・ブレイクの詩が重要なキーワードのように使われていますが、「新しい人…」ではブレイクの詩の重要度がさらに増しているといったらいいかな。ブレイクが残した数多くの詩集から、たくさんの作品が引用されています。こういう小説の顔つきをなんて呼んだらいいのかね~、はて~、と首をかしげていたら、巻末の鶴見俊輔さんの解説を読んで、ひざを打ちました。
――上記の三つの小説(「個人的な体験」「ピンチランナー調書」「新しい人よ眼ざめよ」のこと)は、同じ主題について新しく作曲された音楽のように、それぞれ別の形式をもってのびてゆく。『新しい人よ眼ざめよ』は、ウィリアム・ブレイクの詩についてのコメンタリーの形をもっている。p311
コメンタリーはcommentary、えーっと、注釈、説明、批評といった意味ですね。要するに小説の中に注釈書としての顔があると、鶴見さんはおっしゃっています。なるほど。こういえばいいのか。勉強になったぞ(笑)。
幻影を見続けたといわれるイギリスの詩人、ブレイクの詩をしばしば引いているので、小説には文学を学問として追求しているような高踏的なムードがあるものの、小説の語り手である僕は、障害のある子どもとの関係にしばしば悩んだり落ち込んだり、時には「はあ~? 大人としてその行動はいかがなものですか」みたいな、情けない行動さえとるんですわ。
このギャップが大江さんらしいというか、小説を一言では表現できない複雑な印象を与えるものにしているというか。「これはどういう本?」と聞かれて、「○○が△△する話」とは、とてもじゃないけどいえないなぁ。
*芋蔓本*
松島正一編「対訳ブレイク詩集―イギリス詩人選4」岩波文庫
「個人的な体験」
「ピンチランナー調書」ともに大江健三郎、新潮文庫
