河合隼雄流れで「魂にメスはいらない—ユング心理学講義」講談社+α文庫、再読。
詩人の谷川俊太郎の

ぼくは、今日は生徒に徹したいわけですが、河合さんのなさっていることを体系立てて講義していただくという形ではなく、できるだけ自分の具体的な生活に沿って、疑問に思ったことを伺っていきたいんです。p16

というスタンスの表明からはじまる、ユング心理学に関する読み物。「人が、ついとらわれる心の錯覚」より、ず~っとこっちの方が手ごたえがあるなあ。どんなにハナシが弾んで盛り上がっても、本の形にする限りはやっぱり内容がキモになるでしょう、ということか。

ばかげたことをいろいろ考えて、重なってくるものを言語化し、重ならないものは捨てていくわけです。そのときに、ひとつのことだけにこっちが固執すると、ほかにいろいろおもしろいことがあっても見れないですね。フロイトが言った「フリー・フローティング・アテンション—平等に漂える注意力」を持ってみていないとだめなんです。(河合)p117

結局自分の中で抑圧しているものあるいは自分の中に溜まっているものを言語化する。あるいは非言語で、たとえば箱庭でイメージ化する。そういうふうに外在的に対象化させることがそのまま、その人が病んでいればその治療に役立つし、病んでいなくても人格の形成に役立つということは基本的にあるわけですね。(谷川)p176

たとえばこの2箇所なんだけど、発言者が逆でも不自然な感じはしないような気がする。読みながら「えーっと、これはどっちが話しているんだっけ?」と何度も確認したし。お二方とも「言葉」を真剣にあつかう仕事なだけに、深さというか密度の濃さが対話の中に自然と出てくるのかも。拮抗というコトバが思い浮かびましたです。


河合 隼雄, 谷川 俊太郎
魂にメスはいらない―ユング心理学講義