だるまよがです♪
お元気ですか?
数ヶ月書きたいと思っていたことをまとめていこうと思います
私がヨーガを仕事にしない理由です
これは
ヨーガを教えることでお金を得ることはよくないことだ、ということではありません
むしろ
正しいヨーガを教えて誰かの役に立ち、そのお礼でお金を頂くことはダルマ(調和)な行いです
カナン先生からも
日本でヨーガの仕事をしなさい、ということを出会った時から言われています
ですので
ヨーガを教えて生計を立てている方への批判では決してありません
一度教えることをやめたときには
ヨーガを知らないまま教えることはできない、という理由でしたが
一から学び直し
ちゃんとしたことを教えられる自信が今はあります
ご要望があれば、いつでも教えたいと思いますし
今でも、不定期に教えさせていただく機会を持っています
ですが個人的に
意図的に「仕事にする」、つまり「生活のための収入をヨーガを教えることによって得る」ことを避けています
その理由は多くあるのですが、2つに絞って書いていきます
私がヨーガを仕事にしない理由①
収入を得るために教えると、教える内容にブレが生じる
誰もが、生活をするために
ある程度のお金が必要です
ヨーガを教えることが仕事になると
「収入を得る」ために起こりうることがあります
・生徒さんがたくさん来てくれると収入が増える、つまり、生徒さんが「お客さん」という見方になってしまう
・お客さんがこないと収入がなくなるため、「多くの人に来てもらうためにはどうしたらいいか?」が判断基準になってしまう
・正しいことを教えるのではなく、お客さんにウケの良いことを教えようとしてしまう
・多くの人に来てもらうために、自分のことをアピールする必要があり、それによって自分のエゴを増幅させてしまう可能性が非常に高い
私は10年以上教えてきていますので、
これらのことが容易に起こることは分かっています
最も良いのは
先生(カナン先生)のクラスを企画し告知する・管理するのは別の人(ベストは教えや先生をよくわかっている生徒)という形です
先生自身で告知する必要がないため、先生は教える内容にフォーカスでき
上記のような混乱が起こる可能性はありません
もちろん、すでに考えが成熟していれば、混乱は起きないのですが
今の私には敢えて選ぶ必要がないと思っています
私がヨーガを仕事にしない理由②
クラスに参加している時に「自分のクラスではどう伝えるか」を考えてしまう
自分が学ぶために受けているクラスで
今学んでいる内容を、どのように説明して自分のクラスで伝えようか、という思考に進ませてしまうという点です
私は意図的に
「学んだばかり」「聞いたばかり」の内容は
自分が理解できたと思っても、すぐにクラスで話さないようにしています
一回くらい聞いただけで、ちゃんと分かっているはずがないからです
少なくても10回以上聞き
何度聞いても理解が同じであるとき
(さらに他の内容と矛盾がないとき)
自信を持って話します
教える機会が多いと、どうしても
生徒さんに「クラスに来て良かった」と思ってもらいたい気持ちがあるため
自分が学ぶために参加しているクラスで「ネタ探し」のようなことをしてしまうのです
そうすると
クラスでいかに重要なことが言われていても
自分は「自分のクラスでどう伝えるか」にフォーカスしてしまっているため
・今聞いた内容のみで、話をまとめようとしてしまう
・自分が今理解できる内容のみで結論を出そうとしてしまう
・そのような、自分が教える内容に思考が及んでいるため、クラスに集中できない
・自分が話す時に、ウケがいいように何かを付け足してしまい、それが自分が学んだことだという記憶になっていってしまう
というような
自分の学びへの大きな妨げが起こります
また、自分の理解が不十分で、それを教えてしまうと、大きなデメリットがあります
「嘘は(最初は嘘だと分かっていても)つき続けているうちに、その人にとって真実のように見えてくる」ので
「間違ったことを教えていくと、それが正しいことのように思えてしまう」状況が起こります
もし
教えることで、自分の間違った理解が深まるならば
教えない方がよかった、ということになってしまいます
(その人にとってもマイナスですし、間違ったことを教えられてしまう側も良いことはありません)
二点目も、成熟していれば問題にはならない思うのですが
今の私自身には妨げになってしまう可能性があるため
避けようと思っている点です
今は、本格的な学びに没頭するための準備期間ですが
学びの時が来た時には、私は外側への発信(SNSなど)を全て止めるつもりです
カナン先生の先生のお言葉で
「生徒が学びに来るなら、良いことだ
生徒が学びに来なくても、それも良いことだ。」
という言葉があります
伝統的に「教える」という行為は
自分が学んだ知識・技術を「思いやり」ゆえに、必要な人に与える、というものです
ですから「教えなきゃ」という切迫感はありません
むしろ、「教えたい」「教えなきゃ」という気持ちがある時は
教える準備はまだ整っていない、とされています
ヨーガを教えるのであれば
まず自分自身がリラックスして教えられるように
今の選択に至りました
なにかのご参考になれば幸いです
だるまよが