テレビをつければ目まぐるしい台風情報や、

 

 

 

 

窓の外は激しい雨音がする中、
 
 

 

 

どんどん、自分の静けさに深く深く入って行くと、
 
 

 

 

あ、起きているように

見えるけど

 

 

実は 何も起きて

ないんだな・・・
 

 

 

 

というところに気づいていきます。
 
 

 

 

わたしたちが普段〝起きている〟と見て捉えるのは

 

 

 

 

すべて外側のプロジェクション先の出来事で、
 
 

 

 

 

 

それに反応するかのように

 

 

 

 

自分が連動して起きているかのように見えますが


 
 

もっともっと深く深く、よーくよーく見つめ続けると、
 
 

 

『あ、起きていたのは

自分の内側だけだった・・・』
 
 

 

ということに気づくのです。
 
 

 

 

つまり、今見えている世界は、

 

 

 

 

すべて自分の内側にある反応や認識によって

 

 

 

 

〝起きているように見えて〟

 

 

 

 

いるだけで、自分の内側が反応しなければ、

 

 

 

 

 

認識して捉えなければ、それは

 

 

 

 

 

〝何も起きていない〟静寂さ

 

 

 

 

に気づきます。
 
 

 

 

とは言っても毎日、毎瞬毎瞬休みなく、この内側の反応や

 

 

 

 

 

認識は起き続けるので、わたしたちは、あたかもそれが、

 

 

 

 

 

実際に起きているように感じていますが、
 

 


 

自分の内側の反応や認識に気づき続けていくと、

 

 

 

 

『起きているように見えて、

実は何も起きていない』

 

 

 

 

というトリックに気づいていきます。
 
 

 

 

実際に起きているように見える、この現実という

 

 

 

 

映画の中の登場人物になり切っていると、

 

 

 

 

今もここで、悠然と動くことなく横たわっている
 
 

 

 

〝なにも起きていない〟

静寂な世界

 

 

 

 

気づくことはありませんが、
 
 

 

 

でも、ふと立ち止まって、見てみると、
 
 

 

 

映し出された側の世界ではなく、

 

 

 

 

それを映し出している側の世界があることに、

 

 

 

 

 

ある瞬間、はたと気づきます。


 
 

 

そこには、実際、なにも起きてなく、
 

 


 

ただただ愛しく、

 

 

 

 

ブラウン管の向こうにある、こちらの世界を、

 

 

 

 

 

 

いつも嬉しそうに眺めている
 
 

 

もうひとつのやさしい世界があることに、

 

 

 

 

わたしたちは気づいてしまうのです。