わたしたち日本人は、兎角『表現ベタ』
出し惜しみが当たり前の日常茶飯事!( ー`дー´)キリッ
かの夏目漱石が『I love you』を
『日本人はそんなこと言わないから
〝月がきれいですね〟とでも訳しとけ』
と言ったとか言わないとかで
「すげぇ!漱石カックイー!
(≧∇≦)風流じゃーん!」
と持て囃されるくらい。生粋の、、、
〝愛を表現することをためらう〟
人種です。
特定の人(家族や恋人、近しい友人)には愛を表現できても、
それ以外の自分と関わりない人には、
しーらんぺったんゴリラ!
( -з) プイッ
世の中の自分が直接、関係ないとされる出来事にも、
しーらんぺったんゴリラ!!
( -з) ( -з) ププイッ
とにかく日本人めっちゃツンデレ一族です。
なにゆえ日本人、こんなにもツンデレな
性格になってしまったんでしょう?
与謝野晶子が『みだれ髪』で
「おとめごころは秘めて放たじ
〝あなたを好きな気持ちは
秘めて絶対言わない〟」
と詠んだ頃から??
乙女だけじゃなく、男の子もじーちゃんもばーちゃんも、
オッサンも若い人も年寄りも、老若男女みーんな、
〝愛してるなんてたやすく
言うわけねーし!
(y ゚Д゚)y〟
みたいな集合ツンデレ意識が暗黙の了解な空気。
それはどうしてか?
其の壱
【愛を表現するのがコワイ派】
本当は『愛してる』って言いたいし表現したいけど
相手や周りにウザがられたらどうしよう
:(;゙゚''ω゚''):
反応を気にする小心者タイプ
其の弐
【愛なんて気安く言うわけ
なかろうもん派】
愛してるってバカみたいに
周りに言っちゃ自分の沽券にかかわる!
私は絶対に自分の愛を安売りしないわよ!
(* ̄^ ̄*)
何のプライドか不明だが
カッチカチ鉄壁タイプ
其の参
【愛ってナニ?どこにあんの?】
そもそも愛とか愛してるとか物語上のセリフみたいで
現実として実感がない
( ゚д゚)゚д゚)゚д゚)゚д゚)゚д゚)ポカーン…
チルチルミチルタイプ
それぞれ表面的な理由はあれど一番の原因は、
目の前の世界が「自分」と「愛すべきもの」と
「その他のどーでもいいもの」に
〝分離されている〟からかもしれません。
嫌いな人、許せない人やものがいたとして
「そんなもんまで愛せるか!」
と思うからかもしれません。
でも。。。
でも・・・・
でも・・・・・・っ
もし、目の前の世界に登場する人が、すべて、
あなたの生み出した
ものだったら??
嫌いな人は過去に自分が傷ついたデータを教えてくれてる
重要お知らせ人物かもしれません。
哀しい出来事は、過去にツラくて感じないように
蓋を閉めたまま忘れていたことの再現VTRかもしれません。
遠いニュースに見えるのは、わたしたちが見てみぬフリしてきた、
心のどこかで「このままじゃいけないんだよなぁ」と
薄々感じていることかもしれません。
もし、今見えている世界の、
すべてが、あなただったら?
目の前の世界(=自分)を否定したり、
シカトし続けられますか?
「オレ、かんけーねーし!
( ー`дー´)」
と、突っぱねられますか?
ほんと??ほんとに???
どっかでチックンチックン痛んでませんか?
人は自分によくしてくれたり、愛情をかけてくれたり、
生かしてくれた対象にだけ「愛してる」と
思いがちですが、本当の本当は、
〝この世界の
すべてから愛されて
必要とされていた〟
ことに気づくまで、
『愛の出し惜しみ分離ゲーム』
は続くのかもしれません。
もしかすると・・・
〝自分〟と〝世界〟が分離したと感じた時から
自分の中の愛を出さないよう限定にして
閉じ込めてしまったのかもしれません。
本当は湯水のように枯れることなく、
湧き出している、あなたの愛を、何らかの原因で、
自分と特定のものだけに囲ってしまったのかもしれません。
でも、それはただ傷つかないように囲っている
〝分離愛センター〟からの情報操作だったということに、
わたしたちは運が良ければ、この肉体が生きているうちに、
生きているうちに気づかなければ、肉体が死んで、
すべてがひとつだったと気づかされた時に、
ああ、すべては、
わたしだったんだ。。。
と、目の前の世界が、愛しくてたまらない、
ぜんぶ、わたしで
ぜんぶ愛だったんだ・・・
と、気づくのかもしれません。
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