パートナーが欲しいけど出来ない

好きになっても別れを繰り返す

安定して頼れる人がいない

 

 

 

 

今までのセッションしてきた中で、お客さん自身に、

 

 

 

 

その根底を視ていただくと、
 
 

 

 

『お母さんとの関係性が、

まだ、終わってない。』
 

 

 
 

という共通項があります。
 
 

 

お母さんとの関係性とは何か?
 
 

 

 

お母さんというのは、この世で肉体が生まれて最初の、

 

 

 

 

 

 

受け入れてくれる受容的存在

 

 

 

 

であり、すべての愛情イメージのデフォルトになります。
 

 


 

 

そこにネガティブなイメージや、反発心、否定したくなるイメージ、

 

 

 

 

 

どうしても好きになれない、大嫌い、等、
 
 

 

 

何らかの固まったイメージがあると、それが一対一の

 

 

 

 

 

親密な関係性になった時、自己フィルターを通して

 

 

 

 

 

根底で繰り返されてしまうのです。
 
 

 

 

それだけ、母親のイメージというのは、父親と違って、

 

 

 

 

 

命そのものの

受け入れを現すので、

とってもデカいんですね。
 

 


 

じゃあ、小さい頃、母親を亡くした人や、離婚して

 

 

 

 

 

出て行ってしまった人などは、どうなんだ?というと、
 

 


 

母親がいるかいないか、愛情を向けてくれてるかどうか、

 

 

 

 

 

そういう物理的なものは一切関係ないんです。
 

 


 

ぶっちゃけ言ってしまうと母親はただの受容イメージなので、

 

 

 

 

 

いようがいまいが、生きてようが、死んでようが、

 

 

 

 

 

傍にいようがいまいが、連絡とってるかとってないか、

 

 

 

 

 

 

それは全く関係なくて、ただ、いちばん影響しているのは、
 

 

 

 

自分が母親

(受容というイメージ)

をどう見てるか
 
 

 

 

ということだけです。その〝イメージ〟に、
 

 


 

「ああはなりたくない」

 

「どうせ受け入れてもらえない」

 

「母親は母親、私は私。

違う人間である」

 

「腹が立つ存在」

 

 

 

 

などイメージしてみている場合、
 

 


 

あなたを受け入れてくれる『愛という受容イメージ』が、

 

 

 

 

デフォルトから分断されている状態になります。
 

 


 

なので、パートナーが欲しい、結婚がしたい、という人には、
 

 


 

「実際のお母さんと

仲良くならなくてもいいので、

お母さんをイメージした時の

自分の目と仲直りしてください」

 

 

 

と言います。

 

 


 
 
 

愛情問題は行き着く先に、必ず分離イメージがあります。
 
 

 

 

その分離イメージが、いつ、どこで、誰と始まったか?というと、
 
 

 

 

その先に、母親という最初のデフォルトイメージが出てくるのです。
 
 

 

 

 

最初の受容体である母親に、受け入れられなかった、

 

 

 

 

 

愛情をもらえてなかった、など、わたしたちは

 

 

 

 

 

物心ついてからの哀しいイメージを先行させますが、
 

 

 

 

よくよく自己ワークして見ていくと、

 

 

 

 

 

そういう側面だけではなかったりもします。

 

 

 

 

 

 

もちろん物理的な母親がいない場合も、母親という仮の

 

 

 

 

 

受容体を、この世で認識する前からある、
 

 

 

 

本来の〝生みの親〟という愛の存在も常にいるので、

 

 

 

 

 

わたしたちは誰でも愛されて祝福されてるが故に、

 

 

 

 

 

今ここに現れているということがわかります。
 
 

 

 

その大いなる母に気づく前に、いちばん身近な

 

 

 

 

〝受容〟イメージである物理的な

 

 

 

 

 

人間の母親に対するイメージを、
 

 

 


 

通過しないと、この〝大いなる母〟の存在も、

 

 

 

 

 

にわかに感じることが出来ません。
 
 

 

 

母親は、あなたの〝受容〟のイメージです。
 
 

 

 

そこのイメージが、固まった冷たいものから、

 

 

 

 

 

あたたかいお湯のように溶けだした時、
 
 

 

 

わたしたちは無条件で〝受け入れられている〟

 

 

 

 

ことを知り、その
 


 

 

無条件で愛されて

受け入れられている自分

 

 

 

 

 

を引っ提げて、物理的にも精神的にも、
 
 

 

 

自分を受け入れ、愛する人の元へ、

 

 

 

 

 

飛び込んでいけるのです。