『ダルマさんとカルマさん』というイメージ。
それは小さな足が生えたダルマさんと、
今にも、しな垂れそうなネギが主人公の漫画でした。
なんでダルマさんに足が生えてるの??
なんでカルマさんはネギなの??
当初はそんな質問にも上手く答えられず、
ただ『なんとなく降ってきたから・・・』としか
答えようがなかったのですが、
ここ最近、その答えがわかったような気がします。
ダルマさんのモチーフは、かの有名な
中国の禅の開祖・達磨大師ですが、
ダルマさんは坐禅もしなければ、
瞑想もマインドフルネスもやりません(笑)
どちらかというと、カルマさんの悩みや悶絶に答えるのではなく、
一緒にいて、ひたすらヒントを与え続けます。
両目はしっかり開いて、相手や現象をじっと見ています。
そうしながらも動いています。
そしてネギ子さんことカルマさんですが、なぜネギなの?
当初はよく聴かれましたが、ゆにこの中でパッと浮かんだ
カルマのイメージがなぜか〝ネギ〟だったからです。
ネギ子さんはフツーの主婦です。フツーで幸せであるはずなのに、
いつも悶絶しています。
といって奇抜な行動を起こせるわけでもない。
そこにダルマさんが現われるのです。
ネギ子さんはカルマのイメージなのですが、
フツーの平凡で幸せな主婦のはずが、なぜか満たされない。
ネギというのは、すぐ折れるけど、
切っても切れにくい繊維質(繋がり)があります。
個人の癒し(カルマ)が終わりつつあると、
集合的な国やグループの癒しに移行するのですが、
そこでは日本人が切っても切れないカルマ
ネギ子さんは一家の台所を管理するフツーの主婦ですので、
家族の命、ひいては集合体、国の命を預かっているわけです。
選択に迷って悶絶して、すぐ折れそうになるけれど、
しぶとい繊維質で何とか立ち上がります。
私たちの肉体や感情や選択は、無意識のうちは
全てカルマ通りの流れで、ありとあらゆる過去問を
常にやらされている状態です。
でも、この無意識の過去問(カルマ)に気づき、そこを流し、
脱することが出来ると、今ここからの
すべての新しい選択肢に繋がります。
国や周りが決めてやってる流れに、周りのカルマの過去問に
自分も一緒になって無意識に付き合って流され、
やらなくていいわけです。
その選択は、何も大人しく部屋に閉じこもって、
瞑想や坐禅をしなくても、今ここで出来るのです。
トイレで一息つきながら、電車やバスで移動しながら、
料理を作りながら、眠りに就く前のベッドの中から、
いつでも、どこでも、今ここで、ちょっと意識を向ければ
足の生えたダルマさんが、気づこうとしている私たちに
ひょっこり寄り添って、気づくまで一緒にみていてくれるのです。
Dharmaという〝愛の存在〟になって。