気づいている側の視点が、感覚的に長くなってくると、
今まで出来事に反応して、すぐ突っかかって行ってた、
アクセルのようなエネルギーが急に緩み始めます。
起きていることに対して、常に許容している視点、
体の反応すらも、感じている私から、
感じているのを、見ていてあげている視点に戻ります。
まるで、付きっきりのやさしいお母さんのような、
その眼差しが、常に常に、自分に向けられるようになると、
やがて、その眼差しは周りにも注がれて、
すべてが愛しい我が子のような、おだやかな感覚に包まれます。
ここから見える世界はすべて、なんて愛しいんだろう。
起きていることにアタフタしている自分ですらも、
愛しくて、可愛いくて、仕方ない。
そんな我が子を見守る、お母さんのような視点に還ったとき、
私たちは、この愛の眼差しから世界を見ています。
この愛しい眼差しこそが、本当の私たちの
視点であることを、思い出したとき、
どんなことが起きようが、戻ってくる場所は、
ここしかなかった、ということがわかります。
このやさしい眼差しと共にある時は、肉体からの視点ではなく、
すべてを包んでいる愛の視点と一緒にみている時。
ここさえ知っておけば、感覚的に思い出しておけば、
私たちは、どんな時も、一秒たりとも離れたことのない、
この母なる愛と一緒にいることが、身に染みてわかります。