最近、食の意識を見直したり、化学物質が生態系に
どう影響を与えるのか?ということに熱心なゆにこ。
「どうせこの世はすべて
幻想なんでしょ?
じゃあ食とか化学物質とか
気にしてても意味ないじゃん。
所詮ぜんぶ夢なんだしww」
と「何にもこだわらない、
囚われないのが正解」
と頭で悟りの無常観知識を入れてる方も多くいます。
「すべては夢。自分が創り出した世界」
これは自我目線の幻想ストーリーです。
勿論自我だけが捉えてる幻想のストーリーも数多くあるので、
それを剥がしていくことは大切です。
ただ、自我は自分が
一世一代限りの夢だと思ってるので、
「生きてる間に自分の
好きなことだけやればいい」
「どうせ死ぬんだから
自分のことだけ考えていればいい」
「所詮すべては夢と幻。
この肉体がなくなったら全て終わる」
と、勘違いしています。
いくら「私はこの肉体である」という
自我の一世一代限りの夢が終わっても、
まだ続いていく〝全体の夢〟があることを
自我は知らないのです。
この肉体がなくなったら、今映し出されている世界は全て、
キレイさっぱり、なくなるでしょうか?
なくなると思ってるのは自我だけです。
私たちは、まず、
この肉体という自我の夢
から一度覚めます。
肉体感覚があるうちに、そこに気づく人もいれば、
肉体がなくなっても気づかない自我もいますが、
〝個人の夢(肉体)が終わっても
まだまだ続くストーリーがある〟
ということに気づけるでしょうか?
お子さんがいらっしゃる方なら、わかりやすいかもしれません。
ここにある命が、ひとつの形態を終えても、
まだまだ続いていくことを。
なので自我の囚われから抜けてくると、
肉体が終わっても続く夢があるということに、
徐々にシフトしていきます。
今の肉体がなくなっても、まだまだ、この先続いていく夢に、
私たちはどんな影響を与えるのか?
自分の命は一世一代限りの、F1種子だと自我で捉えてると
「どーせいつかは死ぬんだし、
自分の好きなことだけやって、
生きてる間楽しけりゃ、
それでいーじゃんヾ(*´∀`*)ノ」
という、この一代限りの、投げやりな視点になります。
だから自殺できるし、人を殺せるし、
自分と勘違いしている肉体を粗末に扱えるのです。
でも、個の夢から醒めると、今度は人類全体の夢、
地球の夢、に徐々にシフトしていきます。
自分の夢が終わっても続いていく夢、、
それは、どんな夢でしょうか?
間違いなくそれは、自我の感じている何億倍の夢です。
ゆにこの視たところでは、今現れている肉体がなくなっても、
あと~700年は地球と人類というストーリーは続いていくと
感じています(今より人間はかなり減ってると思いますが)
その地球と人類というストーリーに、今自分が行動してること、
体感したこと、感じたことが、後世にも必ず遺って行くからです。
ゆにこの場合は、それが娘という形を通して
無意識に現れるかもしれないし、
全く知らない人の意識の中に現れるかもしれません。
私たちは、日々色んなことをしたり、体感したりすることで、
この全体という夢の中のストーリーの素材の種を、
毎瞬毎瞬、生み出しています。
だから、なるべくネガティブなまま残っている種は早く摘んで、
愛という新地に戻し、新しく蒔く種を植えるために、
今までの集合意識という慣行パターンの種を
繰り返すのではなく、新しい種を蒔く。
それは、遥かに古代から続いてきた叡智の詰まった種が、
今の時代に合わせて発芽できるような種かもしれないし、
自分自身が感じたこと、体感したことから、土壌をやわらかくし、
通気性よく植えることが出来る智慧かもしれない。
そんな夢のタネを、私たちは今日も、この肉体という
アナログで感度と精度のいいトラクターを使って、
この大きな夢の中の地球というストーリーに
毎日、蒔いているのかもしれません。