自我である思い込みの視点は、
今ここにある体が〝私〟だと思い込み、
この体が今まで経験したこと、感じてきたこと、
やってきたこと、すべてが自分だと、頑なに信じていること。
この思い込みだらけの視点から世界をみると、
世の中は理不尽だらけで腹が立つし、
思い通りに行かないし、苦しい。
自我はいつも、苦しい。
自分がやってると思うから思い通りにならなくて腹が立つし、
哀しいし、世界に戦々恐々と挑まなくてはいけない。
自我の構成要素は何で出来ているかというと、
今まで無意識に取り込んできたミラーニューロンの
イメージである
自分のイメージ、周りのイメージ、世界のイメージ、
過去に経験してきたイメージ、どこかで聴いてきたイメージ、
自我は、すべてイメージで成り立ち、出来上がっている。
なので自我のイメージが剥がれ落ちると、
自分や周りなんて言えるものは何もなく、
経験してきたものなんて何もなく、
ただただ、ここにある体(感覚器)と世界(映像)が、
同時に現れていることに気づく。
自我には時間感覚というイメージがあるので、
過去のイメージがいつまでも残っていたり、
未来を心配して不安になったりする。
でも、それすらもイメージなので、あるようで、ない。
今起きていることしかない、というのは、
こーゆー仕組みで成り立っている。
もっと突っ込んでいくと、今起きたことすらもなく、
本当は何も起きてない。
瞬間瞬間のスクリーン映像なので(本当はそれもない)
何も掴めるものはなく、実体すらない。
でも自我である視点が常に駐在してると、起きたことに対して、
いちいち捉えて、あーだこーだと注釈をつけたくなる。
自我は現象が起きた後にやってくる、
副音声の編集作業である。
本当は何も起きてないけど
「起きてるじゃねーかよ!」と言い
自我イメージを編集するために、
編集室の中だけで
起きている出来事が
自我の視点の世界
現象の後から物申してくる自我編集長がやってきたら、
微笑んで「どうされましたか?」と尋ねるといい。
大抵、自我編集長は色んな文句をつけて言ってくる。
「アイツほんとーマジむかつくぜーーー」
(y ゚Д゚)y(y ゚Д゚)y(y ゚Д゚)y
とか
「マジで意味わかんないんですけどーーー」
(# ゚Д゚)(# ゚Д゚)(# ゚Д゚)
とか
現象にアレコレいちゃもんをつけてくる。
で、その言葉よりも先にあるイメージの方を聴いてみる。
その現象を捉えているのは、現象が起きる前に、
大事に抱えていたイメージがあるからなので
その抱えていたイメージを聴き出して、解放してあげる。
そうすることで、自我はだんだん収まっていき、
起きた現象にいちいち捕まらなくなってくる。
今ここで、目の前で流れゆく景色を楽しみながら、
捉まるものがなくなり、ただ、流れを流れるままに、
愛しく、楽しく、見つめる視点に戻る。
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自我を構成するイメージに
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