西荻窪の「りげんどう」食べた、むすび膳ランチ
外でひとりカフェでランチして帰ると、
よく娘にお土産を買って帰る。
「自分だけ美味しいもの食べた罪滅ぼし」
罪悪感があった時は、そうだったかもしれないけど、
最近は無意識に、娘と夫に美味しそうなものを選んで帰る。
粉モノ好きの娘には、米粉のマフィン。
肉太郎(夫)には、美味しいメンチカツ。
人は、与えられるよりも、与える時の方が
エネルギーが、穏やかで、強くて、やさしい。
与えられるかどうか悶々してる時は、
陰気で、穏やかでなくて、今ここにいない、
不自然で不満足なエネルギーになる。
そっか💡
本来、愛は、
与える側だった。
与えられないと拗ねる側にいる時は、愛から分離された
個の現象の私に成り下がっているので、調子が悪い。
私たちは与える側にいる時の方が、調子が良く、
愛とタッグを組んで、
自分のペースで動ける。
与えられたい側にいる時は、自分のペースで動けず、
調子が悪く、周りの動向をひたすら待っている状態。
まず自分に〝与える〟ことが必要。
自分に与えることを忘れ、
周りがくれない!(y ゚Д゚)y
と拗ねるのは、自分に愛を与えてない証拠。
自分の愛を忘れて、自分の愛を信頼できてない証拠。
ああ、そうだ。忘れていた、この感覚。
本来の愛である私は、いつでも与える側にいた。
愛のエネルギーを惜しみなく流しながら。
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自分に深く 寄り添う愛に 気づく
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