ホンマでっか!TVで尾田栄一郎の自宅公開を観ていた。

 


 


 

 

 

 

お正月からこじらせた風邪が、38~39℃を行ったり来たり

 

 

 

 

フラフラしながら、ワンピースの大豪邸を観つつ、


 
 

夫と娘に「ごめんね。ママが漫画で

こんな大豪邸建てれなくて」
 
 

 

と、なぜか咳込みながら、夫と娘に詫びていた。
 


 

天下の尾田栄一郎と比べるかって話ではあるが、

 

 

 

 

昔漫画家をやっていた身なら、誰でも一度はあるあるネタだ。
 
 

 

 

そこで自己ワークしてみた。
 


 

わたし、なんで漫画やめちゃったんだっけ?

色々デビューしてチャンスもあったのに、

全部自分から辞めて。。。

本当に漫画家になりたかったのかな??
 

 

 

そうすると、出てきたのは2歳の私。
 
 

 

〝家族の役に立たなければ

  私は生きてては申し訳ない〟
 
 

 

が出てきた。
 


 

2歳から、既に家族の役に

立てない自分はダメだ

 

 

 

 

家族を助けたい(特に母)という思いが、

 

 

 

 

強烈に今でも残っていた。

 


 
 

 

 

 

たまたま絵を描くのが人よりかは上手かった。

 

 

 

 

賞をよくもらった。若い時に漫画家でデビューした。
 
 

 

 

でも全部、自分のため、ではなかった。
 
 

 

 

尾田栄一郎がスゴイと思ったのは、

 

 

 

 

あれだけ大ヒットを飛ばしていながら、読者や編集のことより

 

 

 

 

〝自分の好きなものを

  自分のために描いている〟

 

 

 

 

ということだ。
 
 

 

 

私がデビューして、まずつまずいたのは編集だった。

 

 

 

 

編集に気に入られなければ、ウケなければ載せてもらえない。
 
 

 

そんな悶々とした日々を送り、

 

 

 

 

ここでは、やっぱり気に入ってもらえない、

 

 

 

 

と雑誌を渡り歩いて、賞だけ獲ってやめて行く。
 
 
 

唯一の特技であり、好きなことだと思っていた漫画ですら、

 

 

 

 

自分のために描いてなかった。

 

 

 

漫画は描けるけど、そこまで好きじゃないということに

 

 

 

 

途中で気づき、色んな道に行った。
 
 
 
根っこには
「家族の役に立てない自分」

 

 

 

 

を引っ提げながら。
 
 

 

自分のために描いたことなんて、一度もなかった。
 

 


 

周りの役に立てない漫画は、私の中の『やりたいこと』から、

 

 

 

 

どんどん影が薄くなっていった。
 
 

 

そこを、癒しに行った。
 
 

 

2歳の私がいるところまで。

 

 

 

 

 

 

 

生まれてきて、みんなの役に立てず、

 

 

 

 

申し訳なさそうな顔をした女の子に逢いに行った。

 

 

 


 
 

 

抱きしめた。もう、周りの役に立たなくていい、と抱きしめた。
 
 

 

 

自分のために生きて、周りの役になんか立たなくていいから、

 

 

 

 

 

自分のためだけに生きろと、
 


 

泣きながら2歳の私を抱きしめた。
 
 

 

 

 

 

 

〝周りの役に立ちたかった2歳の私〟

 

 

 

は愛に溶けていき、消えて行った。

 

 

 


 
 

 

調べてみると、娘も自分と同じだった。
 
 

 

いつも人の顔色を伺う8歳の娘が、まったく自分と同じ

 

 

 

〝自分のためじゃなく

   周りのために生きている〟

 

 

 

子だった。
 

 

 


 

 

 

ファミリーカルマを視て行くと、父方も母方も

 

 

 

 

「自分のために生きてはいけない」人達ばかりだった。
 
 

 

そこも根こそぎ解放した。
 
 

 

正月明けから風邪をひいて、滅多に出さない熱が出て、

 

 

 

 

なんでだろう?と不思議に思ってたけど、
 
 

 

毎日、自己ワークしてても、なかなか姿を見せなかった

 

 

 

親玉イメージの解放だった。

 

 


 
 

 

おかげで、今夜はスッキリ熱を出し切れそうだ(笑)

 

 

 

 

尾田栄一郎先生、ありがとう。