自分の「好き・嫌い」でも「好き」は出していいが、
「キライ」なことを出してはいけない?
日本人的には、まだまだ周囲を気にして、
自分の『好き』は
表現していいけど
『キライ』は表現して
はいけない。
という風潮がある。
『自分が嫌いっていうと傷つく人が
いるかもしれないし、
自分が嫌われるかもしれないから』
という考えを持つ人もいる。
でも、これって、もしかしたら
自分の狭い世界の中だけの、自己欺瞞かもしれない。
自分の『キライ』を表現しただけで、
それを好きな人は傷つき落ち込むのか?揺れるのか?
それとも『まーったくわかってねーなー!
こーゆーいいところがあるんだよっ』
って益々好きなことを表現できたり、ヤル気になるのか?
よほど自分の好きなことに集中していれば、
外野のことは気にならないし、
誰かの感想もおもろいネタくらいにしかならない。
ゆにこのような徹底したワールドがある場合、
なかなかぶっこまれないので(笑)、嫌われたり批判されても、
面白いネタの薪になるのでうれしかったりするけど、
自分の「嫌い」を表現しても、
それは誰かの『好き』に火をつける
ことかもしれないし、
本音に気づくことになるかもしれないし、
「好き」の輪郭を浮かび上がらせる
ことになるかもしれない。
本当は何を表現しても大丈夫で、意識的に表現してることでは、
人はそこまで傷つかない(無意識の方が傷つくのでね)
誰かが傷つくという目測は、案外、周囲を見くびって、
自分も見くびっていることかもしれない。
周りに合わせず、自分の好き嫌いを
隠さず表現すると、どうなるか?というと、
集合意識に合わせてきた「恐れ」を意識した、
その他大勢のマジョリティ派の人達は、
周囲からサーーーッといなくなるかもしれない(笑)
自分のいいところだけ出したい、見せていたい、
そこだけで繋がっていたい人達も
モロともいなくなるかもしれない(笑)
でも自分の好きなことも出来るし
嫌いなことを表現しても大丈夫
どんなマニアックな表現を
ぶっこんでも平気な人だけが残る(笑)
そーゆー繋がりの方が正直で気を遣わなくて気楽だし、
リアクションも面白いので、
自由なエネルギーが行き交う関係性が拡がります。
頑なに今まで通りの
自分の世界を守り
今まで通り「いいところ」
だけを表現していくか
「嫌い」を出した時に現れる、
絶対に壊れない
〝何か〟を見つけ、
それすらもオッケーな
盤石に変えていくか
誰もがオブラードに包んで出さないところを、
あえて出してぶっこんで行くのが、
世間の価値観を壊して行く、ぶっこみ隊長としても
やりがいのあるところです(笑)