よく世間でいう〝自分を生きる〟
これって何のこと?どうやって生きること?
好きなことや、やりたいこと、魂が喜ぶことをすること?
どれも、ちがう。
自分を生きるということは、好きなことでも、やりたいことでも、
得意なことでも、魂や、そーゆーのがワクワクすることでもない。
じゃあなんだ?というと
〝自分に寄り添い生きること〟
自分を抜きにして、好きなこと、やりたいこと、
みんなに求められることをやっても
〝自分を生きる〟
ことにはならない。
本当の自分の望みや気持ちや本心を知らないで、
周りから一瞬、受け入れられるために、
一瞬、喜ばれるために、自我をを一瞬、満たすために、
表向き誰かに寄り添ったり、周りに喜ばれるようなことをやったり、
みんなをよくしようとすることではない。
自分を視ずして寄り添わずして、後回しにし、周りに働きかけ、
それが自分の好きなことや魂が決めたと勘違いすることではない。
自分を生きる、ということは、
ここにいる自分を
外しては始まらない。
それを外してしまったら、ただ周りに受け入れられるための
〝おべんちゃら人生〟になってしまう。
たとえ、それで一時的によくなっても、最期の砦である
自分に寄り添わないと
最終的に誰も自分に
寄り添ってくれない
淋しい人生を歩くことになる。だから、とことん、
ここにいる
〝自分〟に寄り添う。
誰の話も聴かなくていいから〝自分の話を聴く〟
人の話を聴くことでも、自分の話を人に聴いてもらうことでもない。
自分が自分にいつも
ガチンコで相手する
ここさえ忘れなければ、
人生は無意識に
自分の望んだものと
隠されてきたものが
交互に出てきている
ということがよくわかる。
自分の中にある隠されてきたものまで、
すべての望みを白日の下に晒して暴いていく。
そうしないと、人生の至るところで、
隠されたものが不都合な現実として現れてくる。
自分にひたすら寄り添い、影も闇もすべて拾い上げて行く。
それが「自分を生きる」人生の醍醐味だ。