どんな現象が起きたとしても、
それを受け、感じている私が、
「私」であるとしない。
例えば、何か嫌なことが起きたとして、
その嫌なことを真に受けている私が、
私であると見做さない。
嫌なことも、それに影響を受けている私も、
どちらも現象側であり、私そのものではない。
本当の私は、現象側にはいない。
現象を与えるほうでも、現象を受けるほうでも、
そのどちらでもなく、その、どちらにも
寄っていないポジションにいる。
そこから世界を視る。
どんなに現象側に成り切っても、痛みが伴っても、
そこは愛という私が現象をリサーチするために
遣わされた機能であり感覚器。
リサーチが終わったら、すぐさま、
この永世中立国にいる私に戻る。
現象側の私に埋没しない。そこにいては、
いつまでたっても同じことの繰り返しで変わらない。
いつも、この不動の立場にいる自分を取り戻す。
ここにいる私から、世界を眺めてみる。
大丈夫、もうだいじょうぶ。
現象の私は何も悪くない。
自分も、周りも、もう責めなくていい。
そこ(現象)にいるのが、本当の私じゃない。
気づかなかっただけ。ちょっと潜入して潜り過ぎただけ。
おとり調査に行ったつもりが、現象の私に捕まってただけ。
大丈夫。もうこわくない。
ここにいる私は、何があっても見捨てずに
すべてに寄り添っている、
世界最強で最高の、愛の味方だ。