今朝友達の投稿を見ていて、すっごくいいなぁと唸ったのが、
「他人の気持ちを
勝手に推し量るほど
失礼なことはない」
ということ。
私たちが他者と関わるとき、無意識に
「相手はきっとこうなんだろな」
という思いが湧く時がある、
万が一それがその通りであっても、多くの場合は
自分の抱えてるストーリー、抑圧によって、それが全部丸々
「こちら側の思い込み」という場合がある。
誰かとコミュニケーションをとる時、2パターンある。
①お互いの話を引き出し合うとき
②相手の話に乗っかかって
自分の抑圧や
ストーリーを一方的に話すとき
②は相手とコミュニケーションをとってるように見えて、
実はベクトルが自分の未消化な部分に向かっているので、
相手ではなく、相手をスルーして、自分の投影や
ストーリーや思い込みにスポットライトがあたる。
もちろん、コミュニケーションで自分の未消化な部分に
スポットライトがあたってもいいのだけれど、
そのベクトルの先が「相手のため」という
大義名分の元に繰り広げられていたりすると、
まだ解消されていない、
自分の哀しみや怒りがてんこ盛りなので、
相手も未消化ストーリーに付き合わなければいけず、
気持ちのいいコミュニケーションにはならない。
「あれ?おかしいな(; ・`д・´)
なんか変な方向に行ってるぞ、、」
という違和感になるかもしれない。
人とコミュニケーションをとって話しているとき、
関わろうとするとき、
今この瞬間
自分のストーリーは
相手には一切関係ない
「自分のストーリー」が完全燃焼されてクリアになっていれば、
自分のストーリーが相手にとっても
「いい話、いいアドバイス」になるかもしれない。
でも、まだ哀しみや怒りや抑圧された思いが隠れた
「未消化ストーリー」が出てくる場合は、
気持ちいいキャッチボールのコミュニケーションのはずが、
球が宙に浮き、何度も相手に向かってボール球を投げ、
相手もそれを掴みきれず、相手の暴走球を返すのに
疲れるコミュニケーションになるかもしれない。
相手とのコミュニケーションを取っているように見えて
「自分の話がとまらない」時は、
そこに抑圧されているものが、たくさんあるということ。
そういう時は、誰かとコミュニケーションをとるより、
自分を振り返って、自分の中にまだ残っている
未消化ストーリーを見ていくことをおススメしてます。
★゚・:,。゚・:,。☆゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆゚・:,。゚・:,。★
自分の抑圧や未消化ストーリーを
見つけるお茶会はこちら☟
自分の未消化ストーリーに
個人的に気づくセッションはこちら☟