【私が何かをやっている?】
 

 

〝ワタシが=我〟という感覚が薄らいでいくと、
 

すべてはただ愛が起こしているだけと気づく。
 

〝ワタシ我〟=〝私がやったこと〟

 

なんてひとつもなかった。
 

〝ワタシ我〟は物事が起きた後からやってきて、
 

「私がやってあげたのに!」

 

「私のこの労力を使ってやってやったのに!」
 

っていうけど、その叫び声すらも愛が起こしていた。
 

 

すべてはぜんぶ愛にお見通しされ、

 

愛に応援されて起きていた。
 

ワタシの周りに起きることすべて

 

〝愛がやったこと〟だった。
 

愛がこの体を通してやった(と見せかけて)
 

すべて一瞬で起こしていた。
 

〝ワタシ我〟がやったと思うくらいに完璧に
 

すべてのエゴも飲み込んで
 

愛がぜんぶ起こしていた。
 

どんなことも、すべて、
 

喜ばしくないことも、すべて、
 

愛がやったことだった。
 

だから誰のせいでもない。
 

ほんとに愛はいつも、全力で、完璧に、
 

すべてを包み込んで、
 

ただ、すべてを起こしてる。