今朝、分かったことがあります。
死とは、カラダを離れるということです。
なにが、カラダを離れるのか?
それは、タマシイです。
とすると、私とは、カラダではなく、タマシイのことです。
タマシイが、私の本性です。
タマシイに相応しい、カラダと人生だとわかります。
私、タマシイは、もうすぐこのカダラを離れます。
だからタマシイを浄化してから、カラダを離れたいと思いました。
今朝、分かったことがあります。
死とは、カラダを離れるということです。
なにが、カラダを離れるのか?
それは、タマシイです。
とすると、私とは、カラダではなく、タマシイのことです。
タマシイが、私の本性です。
タマシイに相応しい、カラダと人生だとわかります。
私、タマシイは、もうすぐこのカダラを離れます。
だからタマシイを浄化してから、カラダを離れたいと思いました。
この道を歩いてきて、「待つ」ことの大切さを知りました。
どうしても解決を急ぐあまり、拙速になり、無理・無駄な相互作用を惹き起こしていることへの反省から、「待つ」ことの大切さを知りました。
ただ「待つ」わけではありません。
祈り、念じながら「待つ」のです。
いろいろと学習しながら、時を待つのです。
必ず時は訪れます。
「待つ」とは、絶妙のタイミングを待つという意味があります。
クライエントとカウンセラーの相互作用が、ほどよく発酵・成熟することを待つのです。
「華果同時(けかどうじ)」と言う仏教の言葉があります。
ハスは、泥沼の中に茎根を張り、やがて花と実を同時につけることから、ハスが成仏の象徴になり、仏、菩薩が蓮華座に坐り、立ちます。
クライエントとカウンセラーが、同時に蓮華に坐る体験があります。
嵐が終わり、全てが静寂になり、終結します。
「待つ」ことができるのが、純粋な愛と信頼だと知りました。
今朝、「愛は石を水に変える」という声を聴きました。
カウンセラーとして、この声はとても重要だと得心しました。
確かに純粋な愛は、硬く固まってしまった石のような想いが、溶け出して、水になり、流れ去っていきます。
純粋な愛を学習し、体験するためにこの仕事を選んだのだと納得しました。